LZWに震え上がった10年前の人たち日曜日の歴史探検

温故知新――過去の出来事は時を越えて現代のわたしたちにさまざまな知恵を与えてくれる。この連載では、日曜日に読みたい歴史コンテンツをお届けします。今回は、GIFファイルの運命に大きな影響を与えたLZW特許について振り返ってみましょう。

» 2008年11月16日 06時00分 公開
[前島梓,ITmedia]

歯車が狂うとき

 1990年代、ソフトウェア業界では1つの大きな出来事が起こっていました。その中心には、開発者3名(Lempel、Ziv、Welch)の頭文字を取って名付けられた圧縮アルゴリズム「LZW」がありました。

 「LZ77/LZ78」アルゴリズムを改良して生まれたLZWは、1983年6月に出願、1985年に特許として登録されています。もともとSperryがその権利を保有していたのですが(WelchはSperryの社員でしたので)、SperryがBurroughsと合併して生まれたUnisysがその権利を引き継ぐことになりました。Unisysは当初、LZWの利用に関し利用料を請求しない方針を採っていたため、LZWはGIFやTIFFなどの画像フォーマットの標準データ圧縮方式として爆発的に普及していきました。

 「LZWを用いてGIFを生成する機能を持つすべて商用ソフトウェアにライセンス利用の支払いを求める」――1994年にUnisysが発表したこの内容は、多くの企業を驚かせました。知的財産ですので(アルゴリズムに特許を認めるかどうかはまた別の話ですが)、それを行使すること自体は問題ないのですが、GIFが広く普及した背景にはその利用料を請求しなかったことも挙げられます。GIFファイルを生成/閲覧する機能を備えたソフトウェアもまた多く世にあふれていた中でのこの発表はしたたかと言わざるを得ません。LZWを用いないGIFというのも理論上可能でしたが、多くのソフトウェアベンダーがUnisysとライセンス契約を結ぶことでこの戦を収めようとしたため、このときはさほど話題になりませんでした。

二の矢、三の矢

 しかし、Unisysはさらに過激な戦略を採りました。1999年になると、当初は対象としていなかったフリーソフトウェアの開発者にもライセンス契約が必要であると主張するようになったのです。少し前まで「フリーソフトウェアの開発者からは特許料を徴収する予定はない」と友好的な姿勢を見せていた相手が、突如5000ドルを払ってライセンス契約を結べとすごんできたのだからフリーソフトウェアの開発者はたまりません。高額なライセンス料を払わなかったら、訴訟のリスクが生じる。しかし、そこまでして開発しなければならないのか――このころをよく知る方であれば、ソフトウェア開発者がLZWについて議論し合っていたのをご記憶の方もおられるでしょう。結果、多くのフリーソフトウェアで、GIFにかんする機能が撤廃されてしまいました。

GNUプロジェクトでは「なぜGIFはだめなのか」というページで経緯を説明している

 さらに、Unisysは、ライセンス契約を結んでいないソフトウェアで作成されたGIF画像を利用したWebサイトの管理者(個人運営、非商用などの条件がついていた)にもライセンス料の支払いを求めるようになっていきました。何だかややこしいですが、要は商用ソフトウェア、フリーソフトウェアに対してライセンス契約を求め、それでも抜け落ちる部分の手当てとしてエンドユーザーに責任を求めたのです。

 GIFフォーマット自体には罪はなかったのですが、取れるところから取ろうとするUnisysの姿勢はユーザーの反感を招き、「Burn All GIFs」と名付けられたキャンペーンが展開されるなど、GIFの価値が大きく低下しました。その一方で、フリーのGIF素材などを提供していた個人サイトなどはその多くが閉鎖を余儀なくされました。

 ちなみに、GNUプロジェクトではこの特許について、LZWをほかの目的、例えばファイルの圧縮などには利用できないものになるだろうと早い段階から読み解いており、1992年には、LZWを用いていたデータ圧縮ソフトウェア「compress」(tar.Zとかあったんです)の代替として「GNU zip」(gzip)をリリースしています。そして、LZWの問題が画像におよんだとき、GNUプロジェクトは「代替の技術を開発してもそれは問題全体の解決ではなく、真の意味で解決ではない」とし、GIFに変わるフォーマットとしてPNG(Portable Network Graphics)を積極的に推進するようになりました。GNUプロジェクトのWebサイトでGIF画像が1枚も利用されていないのはこうした経緯によるものです。

ACCESSの無念

 幸いにして、この災いはごく近い将来に過ぎ去る時限的なものでした。米国では2003年に、翌年には欧州・カナダが、日本でも2004年6月20日をもってLZW特許は期限切れとなりました。特許の期限切れに合わせてGIFに再対応したバージョンをリリースした開発プロジェクトも出てきました。多くの人はこの問題は終わったのだと思い始めていたころです。

 しかし、期限切れとなってしばらくして、この問題が再び注目されました。2004年9月にNetFrontシリーズなど情報家電向け組み込みソフトウエアの開発で知られるACCESSがUnisysを東京地方裁判所に訴訟したのです。

 ACCESSは、上述したライセンス契約を結んだ1社です。同社は当時、「NetFront Browser」「Compact NetFront Browser」の両製品を提供していましたが、OEMとして別のベンダーにも提供していました。ACCESS側は、そうしたベンダーがUnisysと別のライセンス契約に基づきACCESSのブラウザを搭載した製品についてライセンス料を支払っていることを理由に、ブラウザの販売についてライセンス料を支払う義務はないと主張。一方のUnisysは、ACCESSのブラウザ販売が第三者のライセンス契約によってカバーされることはないと主張。両社の主張は基本的に交わるものではありませんでしたが、特許の期限切れとなる2カ月前の2004年4月にUnisysがライセンス料を強弁に求めたことから訴訟へと発展してしまいました。

 ただ、すでに特許の期限切れを迎えていたことで、あまり大きく取り上げられることなく、世の中の関心も別のものへと移っていきました。筆者も、「そういうこともあったね」と言われれば思い出せる程度にまで記憶を風化させていました。それから数年、ニュースサイトの記事でわたしは再びLZWの3文字を目にしました。それはUnisysとACCESSの訴訟に決着がついたことを伝えるものでした。ただし和解という形で。

 ACCESSは、想定される仲裁内容や今後の弁護士費用などを考慮の上、和解金としてUnisysに600万ドルを支払うことで和解したと発表。訴訟を起こした側が和解金を払うというのも珍しいですが、Unisysの主張を認めるものではないと付け加えている辺りに悔しさが出ているようです。「この争いに勝利してももはや得るものはない」と判断しての和解なのは明白でした。――こうして10数年におよぶ争いが幕を閉じたのです。

 Unisysは現在でも、LZWにかんする別の特許を出願中で、近い将来特許成立が見込まれるとしてしていますが、発表からすでに結構な時間が経過しているにもかかわらず、その後の動きがないので、この可能性は低いと判断されています。

 LZW特許訴訟が起こらずとも、GIFは画像フォーマットの中でその地位を相対的に下げていくのは避けられなかったのかもしれません。しかし、一連の出来事がその下降曲線に拍車を掛けたということはできるでしょう。今日、PNGが標準としての地位を確立できたわけではないのもまた趣深いものがあります。

 もはや過去の話として語られることとなったLZW特許訴訟。1つの判断が、時代を大きく変えていく事例としてみても学ぶことは多いです。

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