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» 2014年12月22日 13時00分 UPDATE

車両は最先端、業務プロセスは“昭和”?:三菱ふそうが変えた「昭和の仕事」 (1/2)

「車両は最先端だが、業務プロセスが昭和だった」──。“ふそう”ブランドで知られる老舗大型商用車メーカーが、昭和の仕事からの脱却を目指す業務改革に乗り出した。“即効”+“業務部門のみ”で開始したこのプロジェクトに、果たしてどんなITシステムが向いていたのか。

[岩城俊介,ITmedia]

 「車両は最先端だが、業務プロセスが“昭和”だった。もっと客に近い営業をしなければ、他社に勝てない。それには何が必要か」──。三菱ふそうトラック・バス(以下、三菱ふそう)が、これまでの“昭和の仕事”から、クラウドとスマートデバイスも活用した“いまの仕事”へ改革しようとしている。

photo 「ふそう(FUSO)」ブランドのトラック(出典:三菱ふそう講演資料から)

 トラック販売と市場を取り巻く状況はやや厳しい。消費税増税、燃料費、労働力の不足感など、輸送量の減少とそれにともなう広範囲への影響が危惧される。全日本トラック協会のトラック輸送産業基礎データによると、営業用トラックの保有車両数(登録台数)も減少傾向にある。ここ数年は下げ止まったものの、他社と少ないパイを奪い合う状況に変わりはない。

 昭和7年(1932年)、旧三菱造船(現三菱重工業)神戸造船所で同社初のガソリンバス「ふそう」が誕生。三菱ふそうは80余年の歴史を持ち、昭和の高度成長期を支えた企業だ。米クライスラーとの合弁事業で三菱自動車工業が誕生(1970年)、スウェーデンのABボルボと資本・業務提携(1999年)、トラック、バス事業の戦略的提携パートナーをボルボからダイムラー・クライスラーに変更(2001年)、三菱自動車工業からトラック・バス部門と産業用エンジン部門の一部を分社化し、現社名の三菱ふそうトラック・バス設立(2003年)、三菱自動車工業(当時出資比率20%)が所有する全株式をダイムラー・クライスラーへ譲渡(2005年)、国内販売会社26社を統合(2006年)などを経て、2014年現在は三菱自動車工業から独立し、独ダイムラー・グループ(出資比率約90%)の一員として活動。グループでは日本・アジア市場とハイブリッド技術の開発をリードする役割を担っている。

photo 独ダイムラー・グループ(出資比率約90%)の一員として、日本・アジア市場と先進ハイブリ度技術の開発などを担う

経緯と課題:“昭和”時代の営業管理手段から脱却

 ダイムラー・グループとなった三菱ふそうは、2006年に26社あった国内販売会社(ディーラー)を統合した。販社それぞれに存在した基幹販売システムを1つにまとめ、営業ノウハウなども共有することで効率化を図った。「ただ、狭い日本といえども、地域によって客層が異なる。営業手法も違う。同じやり方でやるのはなかなか難しかった」(三菱ふそうトラック・バス CS推進部の近藤和久氏)。

photo 来店型店舗で販売できる乗用車に対し、トラックやバスは「訪問型販売」が主。営業スタッフが担当エリアの顧客をきめ細かに訪問しなければ、売上は立たない
photo 三菱ふそうのトラックは、車体だけで約1000通り、荷台を含めると何万通りの構成例がある

 特に「営業手法や活動方法」は大きな課題だ。基本的に、トラックやバスは顧客それぞれの要望に合わせた受注生産品。営業活動はほとんどが「訪問型」だ。乗用車なら販売店(新車ディーラーなど)へ客が訪れてくれるが、大型のトラックやバスはそうもいかない。

 同社のトラックは、タイプ(大型:スーパーグレード 中型:ファイター 小型:キャンター)、フレーム、エンジン、トランスミッションの仕様別に約1000通りのバリエーションがある。なお、販売するのは荷台を含まない基本シャシー(車体)のみ。別の専門会社で注文した荷台を組んで、ようやく1台のトラックになる。荷台は商品に含まれないが、顧客は必要な荷台をもとにシャシーの仕様を決める。当然、自社の営業スタッフは荷台の仕様や特徴も含めた何万通りに及ぶ知識が求められる。「トラックの販売は、注文住宅のそれと似ている」というが、ともあれ「たくさん訪問することが売上に結び付く」(近藤氏)。昭和の時代から培った営業手法や蓄積したノウハウは自社の宝だった。

 ただ、その営業活動を支える裏側はどうだったか。顧客訪問活動は「手書きの日報を提出」、商談の進行管理は「ホワイトボードとマグネットで」。昭和の時代から続けてきた伝統の手法だったが、現場は「報告するために仕事をしている状態に陥っていた」(近藤氏)という。

 “昭和”の影響は本部・本社管理側にも及ぶ。提出書類によって予算達成率や注文数などはひとまず把握できる。ただ、どんな内容の商談が、どのくらいのスパンで、どの程度の勝率で進んでいるか、車種・構成の最新ニーズは何かなど、細かい状況を把握しにくく、分析のための材料もアナログ素材であった。戦略を立てるにも手間、人員、コスト、そして時間がかかった。

photo この部分が“昭和”のままだったという
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