大人も悩むLINEの「既読無視」――問題の本質とは?萩原栄幸の情報セキュリティ相談室(3/3 ページ)

» 2015年06月19日 07時30分 公開
[萩原栄幸ITmedia]
前のページへ 1|2|3       

既読無視に悩む人へ

 もし、誰かから既読無視を責められて悩んでいるなら、まず「私はとても繊細で常識的な人間だ」と自分自身を褒めてほしい。そして難しいかもしれないが、できればグループや職場の仲間に「これって既読無視なの?」と率直に聞いてみてほしい。現状のLINEでのやり取りに、不満や疑問を持つ仲間がいるはずだ。

 「既読無視」は「未読無視」でもある。結局、身勝手な送信者に返答しない限り、「仲間はずれ」にされてしまう。学生の中には既読無視を恐れるあまり、スマホが一時も手放せなくなり、まるでスマホが人を支配しているような感じだ。あまりに不条理だが、それが現実でもある。

 もし身勝手な送信者がそのグループのリーダー格で他人に厳しいなら、可能なら速やかにグループから脱退した方がいい。「百害あって一利なし」「君子危うきに近寄らず」の通りだ。そういう人間は自分が返答できない状況だと、言い訳をして自分を正当化するだけだ。こういう相手とのつきあいは避けるべきだろう。

 そもそも「文字情報」によるLINEのメッセージやメールは、電話に比べて受け取る相手の状況を考慮しなくても済む、迷惑にならない伝達手段だったはずだ。それがいつの間にか、電話と同じ機能を求められてしまっている。電話はレスポンスに優れるが、相手の状況に関係なく会話を強制する。メールは真逆だ。それはLINEも同じだったはずだが、メールよりはレスポンスがいいとの特徴が災いして、どんどんと即時性を要求されてしまった。その結果が既読無視の問題になったとも思う。

デジタルなツールだからこそ、人のつながりを意識したい(写真はイメージです)

 戦後すぐまでは、「隣組」に代表される極めて密接な人間関係を強制される時代だった。それはいい意味でも悪い意味でもあった。デジタル化された現在は、密結合から疎結合の時代になっている。極端に言えば、全く他人とリアルにつながらず、全てが自己中心的な考えでも生きていける。そこに密結合を求めるのは、一見すると矛盾した行為だ。

 LINEのユーザーは、そんなデジタルな世界で「密結合」を求めているのだろう。人間とは所詮生きている動物であり、本能的にはどこかで他の人間と密結合を求めるものだ。LINEとは、さながら現代版の「隣組」なのかもしれない。

 筆者のような年齢になれば、周囲の人とはもっと穏やかに、ゆっくり暮らしたいと思う。もしそれで壊れてしまうような人間関係なら、「別にいい」と思う。神経をすり減らして生きる方を選択する人もあるだろう。それはそれで否定しない。無責任かもしれないが、自分の人生は自分が納得できる方向で模索するしかない。

 既読無視にまつわる問題の解決方法は様々だが、相手の顔が見えないデジタル空間の中だけでは解決できないだろう。できれば、Face to Faceで心を通わせながらグループ全員で議論すべきだと思うし、その困難な壁を乗り越えないと、真の問題解決にならないだろう。若い人はこうした泥臭い行為がなかなかできないものだが、筆者は若い時に苦労は進んで買うべきだったと、今になって思う。たとえ中学生でもちょっとの勇気があればできると思う。心配なら友だちに相談するより、まずは両親に相談してみよう。子どもを想う両親は絶対に悪いようにはしないからだ。

萩原栄幸

日本セキュリティ・マネジメント学会常任理事、「先端技術・情報犯罪とセキュリティ研究会」主査。社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会技術顧問、CFE 公認不正検査士。旧通産省の情報処理技術者試験の最難関である「特種」に最年少(当時)で合格。2008年6月まで三菱東京UFJ銀行に勤務、実験室「テクノ巣」の責任者を務める。

組織内部犯罪やネット犯罪、コンプライアンス、情報セキュリティ、クラウド、スマホ、BYODなどをテーマに講演、執筆、コンサルティングと幅広く活躍中。「個人情報はこうして盗まれる」(KK ベストセラーズ)や「デジタル・フォレンジック辞典」(日科技連出版)など著書多数。

前のページへ 1|2|3       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ