経営の期待に応える方法〜ベネフィット・マネジメント〜失敗しない戦略実現術、プログラムマネジメント(2)(3/3 ページ)

» 2012年04月06日 12時00分 公開
[清水幸弥, 遠山文規, 林宏典,PMI日本支部 ポートフォリオ/プログラム研究会]
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ベネフィットとは、プログラムの存在意義

 さて、プログラムに話を戻して、今回のストーリーのポイントを考えてみたい。今回、速水はいよいよクラウド事業推進というプログラム計画立案の第一歩を踏み出した。深沢はクラウド事業立ち上げのステップや成果物などを具体化しようとする速水をいさめ、まずは役員にヒアリングをして「プログラムのベネフィット」を明確化するようアドバイスした。なぜ深沢は一見、回り道のようにも思えるアドバイスをしたのだろうか。

 まず「プログラムのベネフィット」の意味だが、これを換言すれば「プログラムは戦略実現にどのように貢献するのか」ということになる。つまり、ベネフィットはプログラムの「存在意義」であり、ベネフィットは「プログラムが組織にもたらす何らかの“価値”」として表現されることになる。例えば、業務改革のプログラムであれば「業務効率や顧客満足度の向上」が、新製品開発のプログラムであれば「新製品自体」や「新しい分野の知見」などがベネフィットとなる。

 そしてこうしたベネフィットは、「限られた予算や人員をどのプログラムに配分するか」、すなわちプログラム選定の際の評価基準となる。評価する際には、ベネフィットの多様性、大きさに加え、戦略との整合性が大きなポイントになる。例えば、「成長市場における地位確立」が求められている局面では、「利益率向上」「コスト削減」といったベネフィットが期待される案件よりも、「シェア拡大に貢献する」ベネフィットを持つ案件が選定される可能性が高い。つまり、どんなにベネフィットが大きくても、ベネフィットと戦略との結び付きが弱ければ、そのプログラムの優先順位は低くなってしまうのだ。

 A社の例でいえば、期初の社長講話における「新規市場の獲得」をはじめとする6つの戦略目標への貢献の度合いとなる。今回、速水は役員へのヒアリングを通じて、クラウド事業立ち上げのベネフィットを、(1)中堅・中小企業市場の開拓(2)顧客に高い投資対効果を提供(3)新技術の獲得(4)開発生産性の向上(5)売り上げ変動の抑制と定義した。これらは先に挙げた戦略目標と強くリンクしている。

図3 A社の戦略とベネフィットの関係

 また、「プログラムの存在意義」であるベネフィットには、多様な要素が含まれる。前述のように、プログラムは「変革を目指す取り組み」であり、変革のレベルも個々の業務改善にとどまらず、事業全体を視野に入れているためだ。従って、おのずと経営的な要素が多くなるわけだが、その要素は図4の通り、必ずしも財務的なもののみに限らず、プログラムの方向性や対象業務に応じて、さまざまなものが使われる。

 例えば、「営業戦略立案」というプログラムであれば、売り上げや利益が主なベネフィットとなる。「新規分野進出」のプログラムでは、当初は売り上げよりも、スキル向上のような定性的な指標をベネフィットとして掲げることもあり得る。こうしたベネフィットの多様性も、成果物が明確であり、そのQCDの満足を目標とするプロジェクトとは異なる点である。

図4 「営業戦略立案」プログラムと、そのベネフィットの例

 社内の各部門のミッションによっても重視するベネフィットは異なる。例えば経理部門は売り上げや利益率、キャッシュフローを、営業部門は顧客満足度や納期を、開発部門は開発生産性や不良率などを、人事部門は社員のスキルやモチベーションなどを優先すべきベネフィットとして考える。

 そのため、バランスの取れたベネフィットを設定するためには、深沢が速水に指示したように、さまざまなステークホルダーに意見を求める必要があるのだ。ストーリーでも示したように、各部門や、部門を統括する責任者の立場の違いにより、相互に矛盾するベネフィットや、全社戦略との結び付きが薄いベネフィットも当然生じてくる。皆さんの中には、日々の業務の中でこうした利害の調整に苦労されている方もいることだろう。ここで、プログラム・マネジャー()に期待されることは、経営トップの代理人として、安易に妥協せず組織の全体最適の視点でベネフィットを見据え、ベネフィットの優先順位付け、取捨選択をすることである。

▼注:@IT情報マネジメント編集部では「マネージャ」に統一する表記ルールとしていますが、本記事については「PMI(R)」の標準用語にのっとり「マネジャー」としました。:@IT情報マネジメント編集部では「マネージャ」に統一する表記ルールとしていますが、本記事については「PMI(R)」の標準用語にのっとり「マネジャー」としました。


 そして、ベネフィットを定義した後は、プログラムの投資予算や、それに取り組む組織、プログラムを構成するプロジェクト群を具体化した上で、いよいよプログラムの実行段階に移る。この実行段階では、プログラムが成功したか否かを判断するための基準となる指標を設定する。プロジェクトマネジメントの場合、成功の指標となるのはQCD(品質・コスト・納期)だが、プログラムマネジメントの場合、やはり「ベネフィットの実現度」が指標となる点が大きな特徴だ。

 具体的には、各ベネフィットの達成度を測るKPIを設定し、計画と結果を比較する。例えば、売り上げ増大など定量化可能なベネフィットなら、財務データをそのままKPIとして利用できるし、「新技術の獲得」といった定性的ベネフィットであれば、年間のトレーニング時間、新分野での売り上げ比率など、関連性の高いデータを指標として採用することになる。

ゴールは変えないが、そこに至るシナリオは積極的に変更する

 ただし、競合の動きやマーケットの環境変化が激しい現在、プロジェクトに比べてステークホルダーが多様であり、かかわる期間も長いプログラムの場合、当初計画通りに進むことはまずない。そのため、ベネフィットの達成が危ぶまれた場合、“個々の計画を必要に応じて柔軟に変更する”ことが求められる。この点が、当初計画の遵守が原則となるプロジェクトとの大きな違いだ。

 例えば、「メーカーにおける新規材料開発」を「プログラム」と考えてみよう。このプログラムで期待するベネフィットとして考えられるのは、財務的リターンに寄与する「自社による製品化・販売」である。しかし、開発に成功した新規材料が、結果として自社の事業ドメインでは活用しにくいものとなれば、プログラムを成功させる上では「新規材料の製作技術を他社に供与して財務的リターンを得る」というシナリオも有力な選択肢となる。また、新規材料を使った製品開発に時間がかかる見通しなら、競合の後塵を拝す前に、「その新規材料を活用できる企業に材料を売却して財務的リターンを得る」というシナリオも考えられる。

 むろん、プログラムの計画時に、どんなシナリオを採るかを決めておくのは大前提である。だが、市場動向や自社の戦略変更、プログラム進捗状況などによってシナリオの変更が必要となれば、プログラムを着実に成功させるために、プログラム・マネジャーは先手を打って変更を提案する必要がある。

 ただ、このように書くと、中には「要するに“行き当たりばったり”か」という印象を持たれる方もいるかもしれない。だが、それは誤解である。単なる“その場しのぎの対応”との大きな違いは、プログラムマネジメントには「ベネフィット」という「軸」があることである。これにより、プログラムのシナリオ変更を検討する際に、戦略への寄与については妥協せず、維持向上を図るという方向付けがなされるのだ。逆に言えば、戦略上の意義を失ったプログラムには「停止する」という意思決定がなされる。つまり「ブレない」点がプログラムマネジメントの大きなメリットなのだ。

 次回は、プログラムのベネフィットを生み出すために、個々の活動を定義する「プログラム・アーキテクチャ」について説明する。プログラムの成否を分ける重要なテーマである。


 PGM標準(第2版)をお持ちの方のために、今回の内容に関連する項目を紹介しておく。

  • 1.2 プログラムとは何か
  • 1.4 プロジェクト、プログラム、およびポートフォリオの関係
  • 2.3.1 ベネフィットの創出と管理
  • 5.2 プログラムのゴールと目的の定義
▼注:ここに示した内容は、著者の個人的見解であり、著者の所属企業・団体およびPMI日本支部の見解を代表するものではない。また、ストーリーに登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものである。


今回のポイント

  • PMI(R)の組織運営:ポートフォリオ・プログラム・プロジェクトという特性が異なる3層のマネジメントモデルを提示している
  • ベネフィットはプログラムの存在意義:プログラムの成功はQCDではなく、ベネフィットの実現度合いによって測られる
  • プログラムの柔軟性:ベネフィット達成の可能性が高まるなら、計画は柔軟に変更してよい

著者紹介

PMI日本支部ポートフォリオ/プログラム研究会

清水 幸弥(しみず ゆきや)

日本ヒューレット・パッカード株式会社にてITコンサルタント、エンタープライズアーキテクチャやITガバナンス等のコンサルティング活動に従事。PMP、The Open Group Master Certified IT Architect

遠山 文規(とおやま ふみのり)

製造業・ベンチャー企業での研究開発、外資系ITコンサルティング会社でのコンサルティング・製品サポートでの経験を元に、開発現場の実務からIT導入までを得意分野とする。PMP

林 宏典(はやし ひろのり)

ジョージワシントン大PM修士コース終了。コンサルタントとしてPM、BPR、情報化計画等を専門とする。現在はデル株式会社で営業企画を担当中。PMP、PMS


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