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次世代光ディスク規格は、かくして分裂した東芝「DVDの父」がホンネで語る次世代DVD論(前編)(1/2 ページ)

» 2004年04月19日 08時53分 公開
[本田雅一,ITmedia]

 東芝デジタルメディアネットワーク社主席技監の山田尚志氏は、DVD ForumでDVD規格の策定に深く関わり、業界では“DVDの父”ともいわれる人物だ。穏やかな表情とは裏腹に、いつも歯に衣着せぬコメントで知られている。

 その山田氏に、「Blu-ray Disc Founders」(BDF)への参加を拒否し、DVD Forum内での次世代光ディスク規格策定にこだわる理由を訊いた。今回はBDFと東芝の関係について、次回はHD DVD規格の背景や製品計画についてレポートする予定だ。

“東芝から見た”次世代光ディスク規格分裂の経緯

 東芝では、青紫レーザーを用いた次世代光ディスクの研究開発を1999年に開始した。山田氏によると、当初はBlu-ray Discと同じ保護層0.1ミリのシステムを採用していたという。実際、2001年秋の「CEATEC JAPAN 2001」では、東芝、松下電器産業、日立製作所が共同開発した保護層0.1ミリの光ディスクレコーダーが参考展示されていた(2001年10月5日の記事参照)。

photo 「CEATEC JAPAN 2001」の松下電器産業ブースに出展された光ディスクレコーダー。2層で50Gバイトの容量を実現していた

 ところがその後、2002年1月の「International CES」に東芝は、単独開発のレコーダーを「DVD-Blue」の名前で展示した(2002年1月10日の記事参照)。基本的には松下、日立と共同開発した光ディスクと同じものだったようだが、信号処理に東芝の持つPRML技術を投入することで片面1層30Gバイトを実現していた(CEATECの時点では1層25Gバイト)。

photo 2002年1月の「International CES」で東芝が展示した「DVD-Blue」試作機

 当時の取材メモを引っ張り出してみると、東芝は「DVD-Blueを2月のDVD Forumに提出する」と話していたのだが、実際には提案が行われることは無かった。

 「2001年末の段階で、すでにソニーが各社に声をかけ、後のBlu-ray Disc Foundersとなる組織を集めていた。われわれはすでに0.1ミリシステムに関して、DVD Forumに提案できるだけのものを完成させていたため、“このシステムをベースに構築すればいいじゃないか”と説得したが、受け入れられなかった。とくに、一緒に開発していたハズの松下電器がソニーの呼びかけに追随したことは、われわれの目には意外に映った」(山田氏)。

 つまりDVD-Blueの強行とも言える単独展示は、DVD Forumとは別に仲間を集め始めていたソニーに対する牽制の意味があったようだ。

 「当時、何度もソニーなどと話し合ったが、ソニーは自分たちの技術ではないから、という理由でわれわれのシステムを基礎にした議論を拒んだ。

 東芝がソニーの技術を拒んだわけではない。しかし、光ディスク業界はメディア上の一部分だけでも正常に読める場所があれば、開発に成功したかのような発表を行う。しかし、本来はディスク全面の読み出しが可能になってこそ、正式に発表するべきだと考えている。

 たとえばDVDの時、われわれはマージンを大きく取った技術仕様とし、量産製品でうまく行くことが間違いない完成度にまで引き上げてから規格化を進めたため、幅広いベンダーに受け入れられる技術に発展した。

 ところが、われわれが見たところ、(後のBD-REとなる)当時のソニー製次世代光ディスクレコーダー技術は未成熟だった」と、山田氏はBDの基礎となったソニーの次世代光ディスク技術について振り返った。

 その後、DVD-BlueはDVD Forumに提案されることなくお蔵入りとなり、BDFのキックオフが緊急記者会見で発表されることになる(2002年2月19日の記事参照)。東芝はBDFに対して、BDFでまとめた技術仕様をDVD Forumに提案して議論を進めるように促したが、BDFはDVD Forumに対する提案を行わなかった。

 これについて、ソニー業務執行役員の西谷清氏は「すでに固まっていた仕様を、東芝がバラバラにしろと言ったためだ」とインタビューで答えている(3月9日の記事参照)。なぜBD規格のDVD Forumへの提案が行われない結果になってしまったのか。東芝側の視点で話してもらおう。

バラバラにしろ、ということはない

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