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で、ぼくらはいつ自動運転車に乗れるんですか? 研究歴20年、金沢大学 菅沼准教授に聞く(6/7 ページ)

» 2018年02月02日 13時34分 公開
[本宮学ITmedia]

自動運転は「役に立たない」と思われていた

――ところで、金沢大学は国内大学で初めて2015年に市街地での自動運転実験を始めたりと、早くから研究に取り組んでいます。研究を始めた当時の状況はどのような感じだったのでしょう。


菅沼准教授


 私が研究を始めたのは1998年、いまからおよそ20年前ですね。当時からいままで研究を続けている日本の研究者は、私が知る限りでおそらく私以外に2人くらいしかいません。その中でも特に市街地での自動運転実験をやっていた人は、おそらく私くらいしかいないですね。


――そんなに少なかったんですか。目を付けるのが早かったんですね。


菅沼准教授


 いや、目を付けるのが早かったというよりですね、当時ってそんなに自動運転っていまみたいに盛り上がったり、むちゃくちゃ社会の役に立つとは捉えられていなくて。特に市街地向けの自動運転は夢物語だろうと思われていました。「そもそも何のために研究やってるんですか?」という風潮のほうがどちらかというと強くて


 それに、われわれ自身も最初は「技術として面白い」ということしか考えていませんでした。高齢社会に向けて役立つだろうといった話はしていましたが、それもどちらかというと“後付け”で(笑)

――研究を始めたきっかけはどのようなものだったんですか。


菅沼准教授


 もともと私が所属していた研究室では、自動車の研究をやっていなくて、その代わりに移動ロボットを研究していたんです。タイヤのついたロボットが速く動いたら面白そうだねと。


photo 金沢大学計測制御研究室が取り組む移動ロボット

 それと96〜97年ごろ、乗用車メーカーが高速道路で自動運転に向けた実験をしているというのを視察に行った先生がいて。面白そうだと思って自分たちでもやり始めたのが最初でした。

――約20年前にも高速道路で自動運転の実験があったんですか。


菅沼准教授


 ありましたね。ただ、昔は例えば高速道路に磁石や誘導ケーブルっていう線を埋めて、それに沿って走りましょうと。前のクルマとの車間距離が何メートルだと危ないから止まりましょうとか、大丈夫だったら近づきましょうとか。そういうすごくしょぼいことしか当時はやりようがなかったんですよね。とはいえ、日本国内ではそれが最先端といわれていました。


――今みたいにセンサーとかAIといった発想はなくて、高速道路に乗ったらクルマが「半・電車化」するような。


菅沼准教授


 そういうイメージですね。これでも高速道路みたいな場所だったら一応使えるんです。東名高速みたいに交通量があるところなら、そういうものを埋めても、もしかしたら採算が取れるかもしれないと。


 それに、2012年に開通した新東名高速って、もともと全線片側3車線で開通させる計画があって。本当に実現するかどうかは別として、3車線のうち1車線は自動運転専用レーンにするという発想で、磁石とかケーブルを埋めるという話もあったとは伝え聞いています。

――えっ。そうなんですか。


菅沼准教授


 そうなんですよ。それをやってたら世界初だったはずなんですが、当時の日本の財政状況だとか、いろいろなメディアに対してコメントされるかたがたが、なんで片側3車線にするんだというような意見が強くて、2車線になってしまったのでほとんど立ち消えになっちゃった。


――では3車線になっていたらもしかすると実現していたかもしれない。


菅沼准教授


 かもしれない(笑)ですね。


――いま思うとすごく面白いですね。


菅沼准教授


 ただ当時の財政状況や社会状況を見ているとしょうがないのかなという気はしますが。いまにつながるという意味ではやっておけば価値はあったのかな、とも思いますよね。


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