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で、ぼくらはいつ自動運転車に乗れるんですか? 研究歴20年、金沢大学 菅沼准教授に聞く(2/7 ページ)

» 2018年02月02日 13時34分 公開
[本宮学ITmedia]

菅沼准教授


 いくつか要因があります。そもそも自動運転車は人間が運転しないので、ドライバーの注意不足やミスによる事故はだいぶ減ると思いますが、自動運転車が事故をまったくゼロにできるかというと難しい。特に、人間が運転する普通の自動車と、自動運転車が混在している環境だと難しいでしょうね。


 もうだいぶ昔の話になりますが、例えばGoogleの自動運転車が事故をしてしまったりとか、最近ですとラスベガスで仏NAVYAの自動運転車がぶつけられてしまったりだとか。そういった事故が起こる可能性があるクルマを、社会がきちんと受け入れられる素地ができるかというと、すぐには難しいのではないかと。

photo 公道を走るGoogleの自動運転車(2015年)

――確かに、デジタル世界で完結するソフトウェア技術と違って、事故が起きたら人が傷つく恐れがありますからね。


菅沼准教授


 そうなんですよね。


――傷つくのが自動運転車の利用者であれば、百歩譲って自己責任と言えるのかもしれませんが、それ以外の一般の歩行者や、自動運転を使っていないドライバーが巻き込まれてしまう可能性もありますね。


菅沼准教授


 結局、メリットを受ける人とデメリットを受ける人の関係性が不明瞭なんです。もちろん社会全体でみると自動運転のメリットも大きくて、例えば1000件あった事故が10件、数件くらいに減る可能性もある。一方、その数件の自動運転による事故を、被害者側の人たちが受け入れられるかというと、なかなか難しそうですよね。


 いまのクルマだと、絶対に止まれないタイミングで歩行者が飛び出してきて事故をしてしまっても「クルマを運転している人も悪い」という見方をされる場合もあります。一方で鉄道であれば、線路への飛び出しは明らかに「飛び出した人が悪い」という見られ方をする。これを自動運転車に当てはめて考えると、社会の既成概念も少しずつ変えていかないといけないでしょうね。

――文化や人々が持っているイメージなどの、社会通念がネックになる。


菅沼准教授


 そうなんです。だから自動運転車はいままで私たちが使ってきた自動車とは違う、新しい乗り物という概念に変えていかないと難しい。


 特に、ドライバーレスで動くバスのような交通機関や、自動運転車のシェアリングサービスなどに対しては、まったく新しい乗り物という見方をしたほうが社会的に受け入れやすいと思います。

――そうした心理的なことに加え、技術的に足りない部分はあるのでしょうか。

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