フィジカルAI向け「データ収集工場」に"潜入" 実機写真で学習データ生成の流れを解説

 物理世界のタスクを自動化する技術として期待が集まる「フィジカルAI」。政府も戦略分野の一つに位置づけ、2040年度までに官民合わせて10.5兆円を投じる方針を示している。

 フィジカルAIを搭載したロボットが産業現場で動くためには、大量の学習データが必要だ。特に人型ロボットを動作させるには人の動作を模した学習データが必要とされ、専用の収集設備や人員、ノウハウ、資金を単独の企業が負担するのは難しい。

 そんな「フィジカルAIの学習データ」を量産する“工場”の稼働が千葉で始まった。ロボットたちはどのように学習データを作っているのか。内部を取材した。

「J-HRTI 関東データファクトリー」の全景。広大なスペースに35台のヒューマノイドロボットとオペレーターが並ぶ(撮影:筆者)

実機写真で見る「フィジカルAI向けデータ工場」

 学習データの工場こと「J-HRTI 関東データファクトリー」が位置するのは千葉県習志野市内。運営するのは業種の異なる民間5社のコンソーシアム「J-HRTI」で、集めたデータは参画企業が共同で使う。国内の民間企業のみで構成される団体が運営するフィジカルAI・ロボットのデータファクトリーとしては日本初だという。コンソーシアムの事務局を担うのは、ヒューマノイドロボットの基盤開発を手掛けるINSOL-HIGH(東京都千代田区)だ。

 では、そのデータはどう集められているのか。データファクトリー内部をINSOL-HIGH代表の磯部宗克氏が案内した。施設はロボットが動作を繰り返す「ロボットエリア」、映像に注釈を付ける「アノテーションエリア」、参画企業が自社の環境を再現して検証する「テストエリア(今回は非公開)」に分かれる。

 ロボットエリアには、白と黒を基調とした35台のヒューマノイドが並ぶ。フロアは複数のレーンに区画され、1台ごとに青い作業服のオペレーターが立ち、首から下げたVRゴーグルと手元のコントローラーでロボットを操作している。同じ動作が、列ごとに繰り返される。

 レーンによって、再現されるタスクは異なる。折りたたみコンテナや棚から、ぬいぐるみや食品サンプルをつかんで移す列。ひしゃくで樹脂ペレットをすくい、横のバケツに入れる、接着剤の補充作業を模した列。上下二段重ねのダンボール箱から商品を取り出し、コンテナに移す列などだ。

ぬいぐるみをつかみ、隣の箱へと移し替える動作(撮影:筆者)
ロボットを操作し、ぬいぐるみをつかむオペレーター(撮影:筆者)

 例えばひしゃくを使う列は、樹脂を移すこと自体が目的ではない。道具を保持し、道具越しに対象を扱う動作は手でつかむより難度が高く、形の定まらない粒体をこぼさずすくう力加減も繊細だ。この基礎動作を覚えれば、原料の投入や粉体の調合にも転用できる。

樹脂ペレットをすくい、バケツへ投入するロボット。両手にもカメラが取り付けられ作業を撮影している(撮影:筆者)
樹脂ペレットをすくい、バケツへ投入するロボットを別角度から(撮影:筆者)

 ロボットの頭部と両手首に付いた3台のカメラが、この動きを撮影する。映像はファクトリーの一角に設けられたアノテーションエリアに送られる。そしてモニター上でタイムラインを細かく区切り、その区間に「左腕を使って引き寄せる」といった英語の動作ラベルを割り当てていく。

首からVR機器を下げ、専用コントローラーでロボットを遠隔操作するオペレーター(撮影:筆者)

 このとき、モノを落とすといった「失敗」にもタグを付ける。うまくいった動作だけでは、現場で失敗したときに自力で立て直せないためだ。ただし、失敗ならどれでもよいわけではない。箱の中で落として掴み直すような、自力で復旧できる失敗は教材として残し、箱の外に落として拾えないものは取り除く。オペレーターの操作ミスや、カメラのずれといった設備側の不具合も、学習からは外す。

 整えたデータはモデル開発に回り、実機に載せて成功率やバグを検証する。結果が振るわなければデータセットを作り直す。現場に実装した後も、稼働で得た成功と失敗のデータを拠点へ戻してモデルを更新する。

3台のカメラで撮影された動画をもとに、動作の区切りやエラーの性質をタグ付けするアノテーション画面(撮影:筆者)

 「実装した時点と半年後では違っているかもしれません。データは毎日溜まっているので、デプロイした実機のデータを入れ替えることで、動きが良くなり、やれることが増えます」

 循環が回り始めれば、データの使い道は広がる。対象物や環境が違うだけなら、ゼロからではなく少量の追加で別の企業やタスクに転用できる。その先に置くのが産業別の基盤モデルだ。2026年度内に搬送などの単純タスクを現場実装し、2027年度に拠点を全国10カ所へ、2028年度に産業特化型モデルの提供を目指す。

20年で1300万人減る労働力への危機感

 そもそも、今回のような「データ工場」はなぜ必要なのか。磯部氏は、稼働の背景にまず人口推計を挙げた。

 国立社会保障・人口問題研究所の推計では、生産年齢人口(15〜64歳)は2020年の7509万人から2040年に6213万人へ減る。20年で約1300万人が失われる計算だ。

 「仮にヒューマノイドを1万台、10万台、100万台入れたとしても、まだ足りません。すぐにでもやれることに着手しなければなりません」(磯部氏)

INSOL-HIGHの磯部宗克氏(撮影:筆者)

 参画するのは社名非公開の1社を含む5社で、医薬品のツムラ、ダイレクトメールと物流のディーエムエス、芙蓉総合リース、専門商社の山善が名を連ねる。最上位組織の運営委員会を毎月開き、その下に実行委員会と、作業設計・アノテーション・環境整備の3分科会を置く。データを集めるタスクは分科会で決める。

 磯部氏が挙げるコンソーシアム形式のメリットは3点。第1に、収集したデータを参画企業で共有することで、現場に持ち出した後のファインチューニング(微調整)に要するデータ量を抑えられる。第2に、ロボットやサーバなどの設備費用を分担できること。

 3点目は、現場の課題からタスクを設計できること。参画企業が現場やそのつながりを持つ事業会社であることと結びつく。何をさせたいかではなく、今のヒューマノイドに何をさせられるかから積み上げる、という順序だ。

 「今のヒューマノイドは万能ではありません。やれることは限られています。その中でどうすれば現場で使えるのかが重要で、それを一つひとつ積み上げながらデータを増やしていきます」

 人からヒューマノイドへ置き換える余地は、自動化が進んだ工程の周辺にもある。仕入先メーカー約3000社と製造業ユーザーをつなぐ立場で参画する山善の丸山洋彦氏(専任役員 トータル・ファクトリー・ソリューション支社長)は、得意分野の工作機械を例に挙げた。

 「加工そのものは機械が自動で行いますが、ワークをセットしたり寸法を検査したりする作業は、職人の技能によるところが大きい。一方で洗浄や梱包といったサブタスクをロボットに置き換えられれば、人をより高付加価値な作業に集中させられます」

左からINSOL-HIGH 代表取締役 磯部 宗克氏、ツムラ 執行役員 生産本部長 熊谷 昇一氏、山善 トータル・ファクトリー・ソリューション支社 参与/J-HRTI 運営委員長 中山 勝人氏、山善 専任役員 トータル・ファクトリー・ソリューション支社長 丸山 洋彦氏、ディーエムエス 代表取締役社長 山本 克彦氏、芙蓉総合リース DX・マーケティング戦略部 次長 堀内 洋介氏(提供:J-HRTI)

35台で始め、全国10カ所へ

 構想がそのまま形になったのではない。3月の設立発表時点では、最大50台が稼働する拠点を7月に開業する計画だった。実際の稼働は8月26日、並ぶロボットは35台にとどまる。

 「建物のスペック上、50台は入りきらない状況です。改めて35〜40台程度が、この区画には適切だと考えています」と磯部氏は説明する。

 敷地は約1400平方メートル。所在地はセキュリティ上の理由から習志野市内としか公開されていない。稼働は土日祝日を除く日で、オペレーターは全員が安全管理と操作の研修を受ける。機体は中国AgiBotの「G1」が中心で、操作の難しい新機種「G2」にはG1で慣れた担当者から順に移す。

 立地の制約もある。選定では駅から歩ける距離と電力の確保が条件になり、候補は限られた。全国10カ所という構想は、拡大の絵姿であると同時に、1拠点で抱えきれない制約への対応でもある。

順次導入が進められているAgiBotの最新機種「G2」。5本指の多指ハンドを備えており、従来の2指グリッパーでは難しかった小物の掴み分けや繊細な力加減を伴う高難度タスクも可能となる(撮影:筆者)
出番を待つ「G2」たち(撮影:筆者)

中小企業に届くまでの距離

 人手不足がより深刻なのは、投資余力の小さい中堅・中小企業だ。磯部氏は、中小企業がフィジカルAIを導入する壁として、数千万円規模の初期投資、オペレーターや品質検証のノウハウ不足、学習に必要な量と多様性を備えたデータの不足を挙げた。

 解消策として示したのが、データ収集キットを貸し出す構想だ。1人称視点のカメラで撮る「Egoデータ」や、ロボットの先端だけを操作して取る「UMIデータ」を現場で集めてもらい、提供量に応じてJ-HRTIの蓄積データを割安に使えるようにする。ただし、この構想はまだ検討段階だ。

 料金体系も、先行参画企業と後から加わる企業では異なる、とするにとどまる。運営委員長を務める山善の中山勝人氏(トータル・ファクトリー・ソリューション支社 参与)も、「中小企業への展開はすぐには難しく、まずデータをたくさん集めることが先」だという見方を示した。

 データが共有資産として機能するかは、年度内の現場実装と、そこから戻るデータの量で見えてくる。拠点の稼働は、その検証をようやく始められる段階に達したことを示す。業界横断の「データ工場」は、中堅・中小企業を含めた産業全体のフィジカルAI導入を促進するか。今後の展開に注目したい。

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この記事の著者

編集:村田知己
編集:村田知己

ITmedia AI+ 編集記者。市場調査会社でのエンジニア職を経て、2022年アイティメディア入社。キーマンズネット編集部、社内のデータ分析基盤構築担当、ITmedia エンタープライズ編集部を経て現職。

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