防災の日「都内幹線道路97カ所通行止め」をみる防災・防犯ラボ(1/3 ページ)

9月1日の防災の日、警視庁は都内の道路100カ所(実際は97カ所)で、10分間いっせいに通行を止める訓練を行った。筆者も実際に取材してきた。

» 2011年09月07日 14時35分 公開
[高瀬文人,Business Media 誠]
誠ブログ

 9月1日の防災の日、警視庁は都内の道路100カ所(実際は97カ所)で、10分間いっせいに通行を止める訓練を行った。東日本大震災後に、都内で想定を超えた大渋滞を発生したことを受けて、震度6以上になると発動する都内の交通規制を実際に発動させて、規制の趣旨である緊急車両の通行ができるかどうかを検証し、あわせて都民にも規制を周知させるのが狙いだ。

愛宕の警視庁交通管制センターの大スクリーン。3.11直後は、渋滞を示す赤い発光が道路すべてを埋め尽くした

3.11、同時多発的に始まった東京の道路マヒ

 3月11日の東日本大震災の夜、都内の道路はマヒ状態になっていた。都心から放射状に伸びる幹線道路の歩道は、電車が動かないため徒歩で帰宅する人があふれた。苦労して帰宅された方も多いのではないか。

 筆者はたまたま江東区の自宅で地震に遭い、知人の安否確認をしているうちに東京駅で帰宅困難になっている友人がいることが分かった。そこで19時ごろ車を出して迎えに行った。東京はほとんど被害がない、という軽い気持ちからだったが、すぐに「しまった、認識が浅かった」と思った。日本橋浜町の手前から車が数珠繋ぎになっているのである。東京駅に向かう車が大渋滞を起こしているのだ。裏道裏道を使って日本橋本石町の日銀までたどりつき、そこで友人と落ち合って自宅に泊まってもらったが、自らの認識の甘さを思い知らされた。

 あの夜、都心から伸びる街道を中心に、迎えや企業から社用車などで帰ろうとする車で道路は激しく渋滞した。都心近くでは1キロ2時間程度を要し、京葉道路の渋滞が解消したのは、翌12日になってからだと言われる。

 後で警視庁交通管制センターを取材する機会があった。センター長の青柳景一警視は、当時の様子をこう教えてくれた。

 「異変が起きたのは地震発生から15分ほど経った午後3時ごろ。センターの巨大スクリーンが表示している都内の幹線道路図に、一斉に渋滞を示す赤い点が点灯した。点はすぐ線になって伸びていった」

 首都高速が点検のため全線閉鎖となり、走行中の車が最寄りのランプから一般道に下ろされた。そこを起点に渋滞が始まり、主要道路全てに及んだ。これが、3.11大渋滞の始まりだったのだ。

 私もそうだが、車で迎えや帰宅を目指した人たちは、震災は遠くの問題で、東京には影響ないと思い込んでしまった。これは深く反省すべきだ。東京の最大震度は5強で、震度が6を超えると即時に発動される大規模交通規制がなかった。確かに大きな被害もないのに道路を止めてしまえば、物流など都民の生活を支えるインフラがたちまち支障をきたすから、それ自体は責められない。

 しかし今回の大渋滞は、鉄道が全て止まり、運転再開見通しが立たないかつて経験したことのなかった事態と、都民の防災意識の薄さが掛け合わされて大きくなり、規制するかどうかの境目での判断の難しさを浮き彫りにした。警視庁は今回大掛かりな訓練を行うことで、都民に「むやみに車で出ない、大地震に遭遇したら道を空ける」という意識を身に付けさせたいのだと思う。

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