放射性廃棄物の受け入れはお金で解決できる?――マイケル・サンデル教授の「民主主義の逆襲」5000人が白熱した特別講義(5/6 ページ)

» 2012年06月06日 19時45分 公開
[上口翔子,Business Media 誠]

罰金を課したら、むしろ違反者が増えた

サンデル イスラエルのある保育所では、どこの保育所でも抱えているある問題がありました。子供のお迎えの時間に親が遅れてくるのです。保育士は遅れてくる親が到着するまで、待っていなくてはなりません。

 この保育所では、経済学者の知恵を借りてこの問題を解決しようとしました。遅く来た親に対して、罰金を科すというものです。どうなったと思いますか? 大きな声で言ってみてください。

サンデル 遅く来る親が増えた? 本を読んだんですね(笑)。あるいは自分でそうではないかと思ったのでしょうか。

(※編集注)本講義の内容は5月18日に発売したサンデル氏の近著『それをお金で買いますか――市場主義の限界』を基にした内容も含まれており、スイスの町の放射性物質受け入れ問題についても触れられている

 そうです。遅く迎えに来る親の数が増えたんです。標準的な経済学の考え方を当てはめると、これは逆説的ですよね。遅刻に対して罰金を科すと減るはずが、むしろ逆のことが起こってしまいました。スイスの町で起きたことも経済学の論理と逆でした。

 遅刻する親は、以前は保育士に対して「迷惑を掛けている」そして「遅刻しないようにしなければ」という義務感があり、罪悪感を感じていました。しかし罰金を科されるようになって、まるでこの罰金は手数料のようだと親は割り切れるようになってしまったんです。サービスのためにならお金を払っても構わないと思うようになってしまったのですね。金銭的なやりとりの関係になったことで、ベビーシッターを雇うのと同じになってしまったわけです。

 このような例を見て、そして今までの議論の中で何が分かるでしょうか?

金銭をやり取りすることで本質が変化するものとは

サンデル 標準的な経済理論において、市場は中立的なものであるという前提に立っています。すなわちその市場で取引する物自体が市場を汚したり、損なったりしないものとされています。この論理は、物質的な物ならばそうかもしれません。例えば薄型テレビやトースター。私が自分で買う場合と、誰かが私への送り物にしてくれる場合、どちらも同じ薄型テレビですよね。

 ところが、このことは市民という価値や共通善、あるいは遅刻しないように頑張ろうとする保育所への義務感や責任感の場合には当てはまらないかもしれません。先ほどの結婚式での祝辞の例に戻ってもいいです。つまり、市場やお金が導入されることによって、その対象物の性格そのものが変わってしまう場合です。

 とすれば、どこで市場が公共善のためになるのでしょうか。そしてどういう場合にはお金は使ってはならないのでしょうか。この議論は対象物ごと個々に考えなければならなりません。その対象物がどういう目的を持っているのか。そして、どういう姿勢、態度、価値観、規範が確率されるべきなのかです。

 例えば先ほどの議論に戻って、ダフ屋の問題です。レディー・ガガのコンサートチケットと同じように、医師の予約券は売り買いしていいのかなど、私たちは対象物の意味を考えました。

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