サンデル これは多くの民主主義、資本主義社会で見られることですが、この30年の間、徐々に世の中が「市場経済」から「市場社会」に移り変わってきています。米国もそうですし、イギリスでも、欧州のいくつかの国でもそうです。
ですが私の印象では、日本はまだそこまでは変わっていない、いわゆる欧米流の資本主義型社会ほど、日本では資本主義が根付いていないようです。しかし少しそういう傾向に動きつつあるように思います。ですから、市場におけるお金の役割について議論する場合の課題は、皆さんが置かれている社会によって違ってくるかもしれません。
つまり私が言いたいのは、市場経済と市場社会を区別をしなくてはならないということです。違いはこうです。市場経済というのは、効果的な生産活動を運営するに当たって非常に効果的な1つの手段です。世界中の国が繁栄や富をもたらし、経済も成長してきています。
一方、市場社会というのは、生活の隅々までお金や市場的価値が浸透し、全ての物が売り買いされてしまう社会のことです。人々の生活や市民生活、公の場での生活、どこでも売り買いできるものばかりが商品化されています。
ですから市場の問題は、経済だけの論理や課題ではありません。われわれがどういう生き方をしたいのかにも関わってくるということです。
ここで最後に質問したいと思います。
今の日本では、お金はどれほどの役割を果たしていると思いますか? あなた自身が思う以上にお金がかなり大きな役割を果たすようになっている、まん延しているという人は「はい(赤)」を、そうではない、それほどお金は自分が思うほど役割を果たしていないという人は「いいえ(白)」を上げてください。
サンデル かなり面白い結果ですね。どうやら半々のようにも見えますが、少し赤の方が多そうな気もします。ということは、皆さんも気が付き始めているのかもしれません。自分が思う以上にお金が役割を果たしていて、そしてそれがいけないと思っているのです。
ではお金が市場に果たす役割は何が適切なのでしょうか。これはわれわれ民主主義に則った市民が一緒になり、互いに議論をし尽くすことによって決めるべきでしょう。その際には、互いに反対意見を公の場で言い合うことも必要です。何か市場の適切な役割なのか、われわれは議論しなくてはなりません。
われわれが大事だと思う社会的な財は何なのでしょうか。教育、健康、個人的な対人関係、市民社会、町の名前、市民としてのアイデンティティー。こういったことを公に議論していくことが必要です。
市場という質問は、究極的には私たちが「どうやって一緒に生活を送っていきたいのか」「どういう生活を送りたいのか」、私たちが暮らす社会として、何もかもが売り買いの対象となる世界に暮らしたいのか、それとも道徳的あるいは市民的なものとして、市場では評価できない、お金では売り買いできないものがある社会の方がいいのか、ということです。
今日の議論を聞いていますと、私は楽観的な気持ちになっています。ここにいる皆さんは、こうした民主主義的な議論をする能力が十分にあるからです。そして、もし世界中の民主主義の中で今日のような議論が公の生活の中心として行われるのであれば、それはとても重要なことだと思います。民主主義が復活できるでしょう。どうもありがとうございます。
次回「日本は大震災で変わったのか?」に続きます。
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