神山町の企業誘致にみられる「来る者拒まず、去る者追わず」というスタンスや、町の人々の“新しいもの”に対する高い受容性。約10日間の滞在を通して、神山町にはある種の“ゆるさ”があると筆者は感じた。
移住者や芸術家を囲んで毎日のように行われるパーティーや、iPadを使い始めたAさんの例はもちろん、私自身も滞在中に「IT企業というのは、どうやって儲けているの?」と町の人から質問攻めにあったこともあった。この“ゆるさ”はどこから来ているのか。そこには2つの理由があるように思える。
1つは「四国八十八カ所巡り」で培われた、よそ者をもてなす文化だ。「神山町には第12番札所の焼山寺があり、昔から神山にやってきたお遍路さんに対して、温泉に入るお金を渡すなど、彼らをもてなす風習があった」(大南氏)という。
もう1つはグリーンバレーの歩みにある。神山町は、近年のサテライトオフィスの誘致が話題になることが多いが、もともと20年以上にわたってさまざまなチャレンジをしてきた団体である。前身となる「国際交流協会」では、外国人のホームステイを10年以上受け入れ、国内外の芸術家も受け入れてきた。その過程で、外から人が入ってくることに住民が慣れた点も大きいそうだ。
このほかにも、神山町に企業や人が集まる理由はある。地上デジタル放送への移行に合わせ、行政主導で町内全域に光ファイバーの高速なインターネット環境を用意したことや、「創造的過疎」という言葉を掲げ、サテライトオフィスの誘致などを押し進めてきたグリーンバレー代表理事、大南信也氏のカリスマ性も大きな要因だろう。
とはいえ、企業や人々を引きつける魅力の根本にあるのは、神山町の人々が持つ“ゆるさ”にあるように思う。一般的な田舎社会は、その町で暮らしてきた住民がコミュニティーのほとんどを占めるケースが多い。筆者の個人的なイメージではあるが、そうしたコミュニティーでは、年齢によるタテ社会が根付いており、縁もゆかりもなかった“よそ者”が地域に入ってなじむには時間がかかると思っていた。
しかし神山町は違った。お遍路文化やグリーンバレーの歩みによって、“よそ者”が地域の魅力や価値を見出し、新たな可能性を生み出す土壌ができていた。その土壌の上にレストランや歯医者、ITスキルを持った人など、町にとって必要な職を持つ人が次々と移住してくる展開が生まれている。今回インタビューに答えてくれた寺田氏の移住もまた、新たな連鎖を生み、神山の次の時代を創っていくはずだ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.