虫嫌いに占いマニア、乙女な素顔の武田信玄歴ドル・小日向えりの「もしあの武将がネットサービスを使ったら……」(3/4 ページ)

» 2016年02月13日 08時30分 公開
[小日向えりITmedia]

納得いくまで何度もくじ引き

 また、信玄の乙女要素と言えば、ほかにも思い浮かぶことがあります。宣教師のルイス・フロイスは、信玄公の最大のライバル・織田信長と比較して、「織田信長は易占いや迷信を笑って信用しないが、信玄は釈迦を超越し、絶対視している」と記録しています。

甲府駅前の武田信玄像と一緒に 甲府駅前の武田信玄像と一緒に

 そう、信玄は占いにハマりすぎて、名前を変えたほどの「占いマニア」。国の行く末も占いによって決めていたことが、書状からうかがい知れます。

 永禄4年(1561年)11月2日の書状には、「北条氏康を支援のため上野へ出兵したらどうなるか占ったところ”最吉”が出たのでそれに任せて出陣した」とあり、また、永禄13年(1570年)2月28の書状には、「津久井と上州への出撃は今日占ったが、伊豆についてはまだ占っていない。一大事なのでしっかり天道にうかがって、どうすればいいか決めたい」など、占いが戦略を大きく左右していたことが分かります。

 占い方法は、亀甲を焼いたり、「筮竹」という方法で筒の中に入れられた50本の細い竹をランダムに取り出し64卦を占ったりしていたようです。諏訪大社でクジを引いたときは、結果がおもわしくなかったようで恐怖におののいた信玄。「もう一度クジを引いてきてほしい」と代理人に頼んでいる書状が残っています。この書状は祐筆ではなく信玄自らが筆をとっていることから、事の重大さが伝わってきます。

 ちょっと信玄さん、何回もクジ引いていたら意味がないじゃないですか、とツッコミたくなります。また諏訪大社に行かされるハメになった上、クジで良い結果を出さなければいけないプレッシャーを与えられてしまった代理人には同情せざるを得ませんね。

 そもそも信玄という名前ですら、占いにハマっていなければ名乗っていなかったかもしれないのです。

 信玄が「晴信」だった日のこと。占い結果に「『豊』 日中のあとみちかけあり」と出ました。「運勢は今がピーク。満ちた太陽が欠けていくように運も欠けていく」というもので、信玄は「みちかけ」というワードに着目します。

 みちかけ……みぢかけ……みぢかけ……短毛……剃髪!

 髪を剃って生まれ変われば運勢が良くなるに違いない。ということで、出家して僧侶となり、「晴信」から「信玄」と名を改めました。戦国時代の占いは、ときにギャグで未来を示唆してくれるようです。

 信玄は、その人徳や魅力、カリスマ的リーダーシップで家臣団をまとめ上げています。経営者に例えると、社員1000人未満の中小企業の社長というイメージがあります。大企業のように決まりを作って仕組み化する組織運営ではなく、トップの独断と偏見で事業展開するワンマン経営者。占いに傾倒している中小企業の社長……みなさんの周りにも思い当たる人物いるのではないでしょうか。

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