こういう批判もあって国体でのマスゲームは一時下火になったが、スケールダウンをして現在でもちょいちょい行われている。例えば、2014年に開催された長崎国体では小、中、高校生約2200人が集められてマスゲームを行った。
これと同様に8段や7段というそびえ立つような「人間ピラミッド」や「タワー」は多少自粛されるかもしれないが、運動会の「目玉」としての地位は揺らぐことはないだろう。
それにしても不思議なのは、なぜここまで日本では子どもたちにマスゲームや組体操をやらせることに執着しているのかということではないだろうか。過去を振り返ると、そこには「集団美」を苦労してつくることこそが、何者にも代え難い「教育」だという考えがあるようだ。
1990年、福岡の高校生が8段のピラミッドの練習中に下敷きになって首の骨を折り、重い障害が残る事故が発生した時も問題視する声があがった。それ以降もちょいちょい大きな事故が起こるたびに「もうやめたら」という意見が出るのだが、そのたびに危険を上回るだけの「教育的価値」があるという声が多くなり、下火になるどころか「高層化」が進んできた。
例えば、2014年10月5日の『朝日新聞』に登場した、8段にも及ぶ高層タワーを指導している高校教諭もこんなことをおっしゃている。
高くなれば危険性が増すのは理解している。だが、練習し、努力して一定のハードルを超えていく過程で生徒は多くを学ぶ。
確かに、「俺は土台なんかやりたくねえ」「重たいから上に立つ役にしてくれ」などというワガママを個々が好き勝手に言い出したら「人間ピラミッド」は成功しない。頭をふんずけられても、背中に激痛が走ろうとも、「みんなのため」に歯をくいしばることが善であり、社会というのはそういうものだということを学ぶのである。
これは分かりやすく言ってしまうと、体の痛みをもって、「秩序」というものを叩き込まれているわけだ。
おいおい、ずいぶん棘(とげ)のある言い方をするじゃないかと思うかもしれないが、特に他意はない。運動会、そして組体操の本質に目を向けると、どうしてもこのような表現になってしまうのだ。
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