関ヶ原の戦いで吉継軍が総崩れになった後、吉継は切腹するのですが、その介錯人が五助でした。醜い顔がコンプレックスだった吉継は、首を斬られた後も顔を見られたくないので、五助に対して、首を埋めた場所を誰にも教えないでくれと依頼しました。
その後、五助が首を埋めているときに、藤堂高虎の甥である藤堂高刑(たかのり)と出くわしてしまったのです。吉継の首を渡せという高刑に対し、五助は断固としてノーと言います。「その代わりに自分の首を持って行け」と主君の身代わりになりました。そこは高刑も武将、敵ながらあっぱれとして、吉継の首が埋まった場所を決して他言せず、五助の首だけを徳川家康の元へ持って行きました。
実に男気溢れる、グッとくる話で、戦国時代のエピソードの中で最も好きです。吉継のお墓は関ヶ原での陣地の近くにあるのですが、すぐ隣に五助のお墓もあります。お参りすると涙がこぼれます。
編集部F: 戦国武将らしい、泣かせる美談ですね。
小日向: あと、吉継は関ヶ原の戦いの前に「吉隆」に改名したと言われています。真田信繁は大坂の陣の前に「幸村」になったという説がありますが、義理の父である吉継に倣ったのかなのかなと思いました。
編集部F: 戦いの前に改名するのは縁起が良いのですか?
小日向: 気持ちを新たにして気合いを入れるような感じなのでは。当時の武将はコロコロと改名しているのですよ。占いの運勢だったり、字の画数だったり、いろいろな理由があるようですが。
最後にもう1つ。吉継の菩提寺とされている永賞寺(福井県敦賀市)に訪れたとき、過去帳を見せてもらいました。その1冊目の最初に吉継の戒名が書かれていて、毎朝お経で唱えているそうです。
普通、戦争で負けた側の記録などはほとんど残せないですし、実際、吉継のゆかりのものは敦賀にほとんどないのですが、お経の最初に入れることで脈々と後世に受け継がれているというのは素敵だなと思いました。
編集部F: 負けた西軍側の武将で、そういうことは珍しいですか?
小日向: 戒名をお経の最初に入れるのはあまり聞かないですね。モノを残せない代わりに、毎朝思い出すようにそうしているのかな。
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