“超高速関ヶ原”の裏では何があったのか?「真田丸」を100倍楽しむ小話(1/3 ページ)

» 2016年09月17日 09時10分 公開
[ITmedia]

「真田丸」を100倍楽しむ小話

この連載では、歴ドル&信州上田観光大使を務める小日向えりさんとともに、NHKの大河ドラマ「真田丸」に登場する人物、あるいは名シーンなどを取り上げて、よりドラマを楽しめるような情報や小ネタをお伝えしていきます。連載バックナンバーはこちら


編集部F: いやぁ、先週(9月11日放送)の『真田丸』がネット上などでかなり話題になっていますね。

小日向: “超高速関ヶ原”のことですね。私もドラマを見てびっくりしました。あの天下分け目の関ヶ原の戦いが、わずか1分足らずで終わるなんて(笑)。

編集部F: 本能寺の変で織田信長が死んだときも、たった数十秒のナレーションだけであっさりと片付けられましたが、今回の関ヶ原の戦いはそれに匹敵しますね。まさか大坂の陣も……ということはないかと思いますが。

東軍と西軍がぶつかった関ヶ原古戦場 東軍と西軍がぶつかった関ヶ原古戦場

小日向: 今回の見せ方について、脚本の三谷幸喜さんをはじめとする制作側はあくまで真田家の視点を守りたかったのと、当時の情報伝達はタイムラグがあったことを示したかったのだと思います。徳川秀忠率いる軍が真田昌幸&信繁親子のいる上田城を攻めた第二次上田合戦が1600年9月初旬で、関ヶ原の戦いは9月15日に起きているので、真田が関ヶ原の状況を知るのは上田合戦が終わるころだったのでしょう。

 例えば、戦国時代小説などを読んでいると、各地で起きているあちこちの戦いを同時に俯瞰(ふかん)することができますが、実際にはそんなことは不可能です。だから真田にとっては「西軍敗北なんてうそでしょ!? こっちは勝っているのに」と、本当に晴天の霹靂(へきれき)だったということが、先週のドラマを見て肌感覚として理解できました。

編集部F: ところで、第一次上田合戦のときはドラマでも派手に描かれていましたが、第二次は淡々と進んだ印象を持ちました。実際にはどのような合戦だったのですか?

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