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元楽天副社長が作る幼小中“混在校”の武器本城慎之介、軽井沢風越学園創設への道【後編】(2/5 ページ)

» 2018年10月15日 07時15分 公開
[井上理ITmedia]

 それまで、約7年を「森のようちえん ぴっぴ」における幼児教育の現場に費やしていた本城。16年1月、月に一度ほど長年続けているコーチングサービスで、電話口の向こうのコーチに年初の思いを語っていた時、ふと心の奥底に封印されていた「学校を作りたい」という思いが噴出した。

 同時に本城の脳裏に浮かんだのは、岩瀬直樹という教師の存在だった。

 2人の最初の出会いは、本城が05年4月から2年間、横浜の公立中学校校長をしていたころ。静かな環境で集中できる子もいれば、音楽がかかっている環境の方がいい子もいる。褒めた方がいい子、まだまだだなと発破をかけた方がいい子。どうやら刺激のポイントは一人一人違うらしいが、画一教育の中で個別対応は難しい。どうしたものかと悩んでいた折、公立小学校に「面白い先生がいる」と噂を聞きつけ、見学に出向いたのが岩瀬の授業だった。

 机は前を向かず、4つが島のように向き合っている。先生がカリスマのごとく前面に押し出るのではなく、自分たちで相談しながら授業を進めている。さながら活気のあるワークショップで、先生はファシリテーター。そこにいる子たちは学ばされているのではなく、手元のコントローラーを自在に操って自ら学びを進めているようだった。

 「うわ、すげぇ」と思ったが、自分の中学校で導入できるかというと「無理だな」と思った。そして、岩瀬とはそれっきりだった。

岩瀬との再会、エリート育成とは真逆のコンセプト

 およそ10年ぶりに再開したのは、15年夏。本城が長い迷走を経て森のようちえん ぴっぴで働き始めてから6〜7年が経っていたころだ。ただ、その時は旧交を温めたくらいで、特に学校作りの話はしていない。それでも、16年1月のコーチングを機に「やっぱり学校を作りたい」と強く思ったその時、「やるんだったら彼と一緒にやりたい」とも強く思ったという。

 「とにかくまず彼にどう伝えようか悩みました。そんな仲がいいわけじゃないし、当時彼は東京学芸大学の准教授として教員養成をしていたので、断られるかもしれないし、そう思ってなかなかメールが書けなくて、やっと5月に書いて、翌6月に会った。そこで、構想を伝え、一緒にやってほしいと言いました」

 これを受けた岩瀬は多少、面食らったが、実は岩瀬自身の中にも「学校を作ってみたい」という思いは燻っていた。会ったその日のうちに「やりましょう」の返事。本城と岩瀬は、この日、6月22日を風越学園の創立記念日とした。

 本城はぴっぴでの勤務を週5日のフルタイムから16年は週3日、17年は週1日と減らしていき、岩瀬とともにコンセプトやカリキュラムなど具体的な構想を固めていく。

 その結果出来上がったコンセプトは、まさに3歳から6歳までが混在となって遊んでいる、森のようちえん ぴっぴの拡大版。かつて志向していた「エリート育成」の面影はない。

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