――齊藤さんはこれまで「ドラクエ」のプロデューサーも務めてこられましたが、この「面白い」という感覚をいかにして養われたのかを伺いたいです。そもそもなぜ、ゲームの世界を志されたのでしょうか。
もともとはゲームではなく「おもちゃに携わりたい」と思っていたんです。ゲームよりおもちゃのほうが、子どもが大人になる過程の中で、大事なものだと考えていた時期があったんですね。
例えば私が子どものころには超合金のおもちゃがありました。ロボットのおもちゃでロケットパンチをすると、手の部分がどこかになくなってしまったり、乱暴な使い方をして大事なおもちゃが壊れてしまったりという体験をしますよね。こういう体験が、子どもの情操教育として必要だと考えていたんですね。一方ゲームはデジタルなので、なくなりもしなければ壊れもしないので、子どもが大人になる過程の中では、それほど重要だと思っていなかったのです。
――なぜおもちゃの業界を考えられていたのですか。
実は両親が銀行員で、私も大学は経済学部だったのですが、自分のお金ならまだしも、「人のお金を数えるのは面白くないだろうな」と思っていました(笑)。どうせ仕事をするなら、自分が楽しいと思えるものがいいと思い、第一希望は玩具メーカーだったのです。それに伴って、「面白いな」という発想から、第二希望はゲームメーカーでした。
最大手のバンダイさんは残念ながら落ちてしまったのですが、女児向け玩具で知られるタカラさんには内定をいただきました。ただ熟考した結果、リカちゃん人形は自分の肌には合わないと思い辞退しました。
――実際には、スクウェア・エニックスの前身であるエニックスに入社されました。
ゲームメーカーからは他にいくつか内定もいただいていたのですが、最後に内定が出たのがエニックスでした。当時は社員が100人ぐらいしかいなかったんですが、「ドラクエ」は当時から人気がありましたし、何よりグッズを作っていたので、そこの部署に近いところに行けるんじゃないかと思ったんですね。
また、大学では中小企業論のゼミにいたんですけど、バランスシートだけは読めたんですよ。その観点で考えると、社員が100人しかいなくて、にもかかわらず現預金がかなりある。「これは俺が何をやらかしても潰れないし、社員が100人しかいないんだったら、新入社員でもちょっと大きい声を出せば社長まで届くんじゃないか」という勝手な思い込みで、入社を決めました(笑)。
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