東日本大震災を通じてSNSの有用性や影響力を身をもって体感した高島市長は、福岡市でもこのような“新しいツール”をすぐにでもに取り入れていこうと考えたが、受け入れ体制が整っていなかったのが実情だった。
「震災が起こったのは金曜日の午後。役所は基本的に土日は休みですが、市長に就任して間もない私は、放送局時代の感覚で、役所の局長クラスの人たちは当たり前に土日も震災対応に臨むと思っていました。しかし、土曜日に危機管理室に出社したのはたったの3人程度。Twitterなどで一生懸命に情報発信を行っていましたが、実はあれは数人で対応していたんです」と打ち明ける。
一刻も早く今後の対応について方針を固めたかったものの電話はつながらず、非常事態時用などに電話以外の連絡手段を持っていなかった局長たちと連絡を取ることはかなわなかった。
そして週明け、60歳近い局長や幹部職員たちに向かい「もっとスマートフォンやパソコンを活用しましょう。市民の悩みや不安を含め、多角的に事態を把握していかなければならない」と、当時36歳だった高島市長は呼び掛けたのだ。
「“情報の受信力”を高め、市民に寄り添った支援をしてほしい。今はそれを可能にするツールが手元にあるのだから」
高島市長はそう訴えかけたつもりだったがその真意は正しく伝わらず、市役所内では「若い市長が(とりあえず)スマホを持てと言った」と誤った形で伝達されてしまったという。高島市長自身も大震災に動揺していたため言葉足らずになっていた可能性もあるが、普段からこのようなツールを使い慣れていない人たちから理解を得ることは簡単なことではなかった。
また、古株職員からすれば元キャスターで30代半ばの高島市長はまだまだ新参者。信頼関係が築けていない段階で、新たな試みを始めようとする高島市長に快く賛同する職員は多くはなかった。「若い奴が面倒くさいことを始めようとしている」。そんな空気が漂っていたように感じたという。
SNSは職員同士のコミュニケーションにも役に立つ。少なくともこの土日の経験から、高島市長は非常事態に備え複数の連絡手段を確保しておくことの重要性を改めて認識したのだ。
「職員一人一人に『ITに精通せよ』とか、無理難題を言ったつもりはありませんでした。私だって素人です。しかし、行政がSNS程度を使いこなせないようでは今の時代、ニーズを捉えたサービスは提供できません。好むと好まざるにかかわらず、SNSを新たなツールとして受け入れることは自然の流れだと思っています」
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