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兼高かおるさんが唱えた「42歳定年説」  だから私は19年勤めたテレビ局を辞めた考え抜いた「不惑」の意味(4/6 ページ)

» 2019年01月25日 08時00分 公開
[田中圭太郎ITmedia]

人生の迷いを消化できるか

 他にも42歳という年齢について、個人的な体験から思うことがあった。長く記者としてニュースに関わっていると、それまで積み重ねてきた人生を壊すかのような事件を起こすのは、42歳くらいの男性が多いと感じていた。それは、例えば公務員や教員が痴漢や万引きなどで逮捕されるといった事件。勝手な臆測ではあるが、事件を起こした人は、42歳という年齢の前後で、人生の迷いが生じ、その迷いを消化できずに人生を狂わせてしまったのではないだろうか。

 意識した有名な言葉もある。紀元前5世紀の中国に生きた孔子と、弟子の問答などを編集した『論語』の為政編に出てくる、「四十にして惑わず」。この言葉から40歳は不惑といわれるが、孔子が「惑わ」なくなったのは、詳しく言えば40歳代の前半だという。孔子はクーデターに失敗した昭公を追って、36歳で故郷の魯国から斉国に亡命する。

phot 論語』(中公文庫)

 しかし、昭公が亡くなり、魯国で新たに定公が即位したことを受けて、故郷の復興のためにもう一度働こうと魯国に戻ることを決意。44歳のころまでには仕官したとされている。(参考:『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫)

 『論語』で語られているのも、「42歳定年説」とほぼ同じ時期に、孔子がその後の人生をどのように送るかを悟ったということだった。時代も全く違うが、人生後半の生き方を考えるには、42歳くらいがちょうどいい時期なのかもしれない。

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