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兼高かおるさんが唱えた「42歳定年説」  だから私は19年勤めたテレビ局を辞めた考え抜いた「不惑」の意味(5/6 ページ)

» 2019年01月25日 08時00分 公開
[田中圭太郎ITmedia]

東京に転勤後、フリーランスとして独立

 人生の後半を迷いなく過ごすにはどうすればいいかと考えていた39歳の時、私は東京支社営業部に転勤になった。同時に、大学時代以来の東京の生活で、大分では会えなかった多くの方々との出会いがあった。

 そして40歳の時、現在の私の師匠、ブックライターの上阪徹さんと出会う。

 上阪さんは、リクルートから公立中学校初の民間人校長に転身し、現在も教育関係などの仕事をされている藤原和博さんの著書『坂の上の坂』(ポプラ社)のブックライティングをしていた。ブックライティングとは、著者に10時間以上のインタビューをして、著者の持つコンテンツを書籍として書き上げる仕事のことだ。

phot 坂の上の坂』(ポプラ社)

 『坂の上の坂』は、40歳でリクルートを退職し、キャリアチェンジをした藤原さんが、40歳代から50歳代のどこかで世の中、会社、家族、パートナーなどさまざまなことに向き合って、50歳代から上り坂の人生を歩めるように準備しよう、という自己啓発本だ。上阪さんは藤原さんに許可を取った上で、自著の『職業、ブックライター。』(講談社)の中で、『坂の上の坂』のブックライティングをしたことを明かしていた。

 私はある日書店で『坂の上の坂』と出会い、それからしばらくして『職業、ブックライター。』を偶然手に取って、上阪さんのトークショーに出掛けていく。そこで上阪さんが2014年春にブックライター塾を開講すると聞き、受講した。

 ブックライター塾で文章の書き方を学んだことで、自分の人生後半のイメージが具体化できてきた。自分が過去に培ってきた取材力をもっと磨いて、書いて生きていくことで、ほんのわずかでも、誰かの、何かの役に立つことができればと思うようになった。

 フリーランスとして生きていくことには、周りからは無謀だと言われた。妻と娘の3人家族で、娘はこれから中学生になるところだった。生活が苦しくなった場合のシミュレーションもして、妻には3年以内に軌道に乗せると言って理解を求めた。そうして会社を辞め、フリーランスのジャーナリスト、ライターとして独立したのが、42歳11カ月の時だった。

 何が何でも42歳で辞めると意識していたわけではない。ただ後から考えてみると、「42歳定年説」に影響を受けて、自分の頭の片隅でキャリアチェンジを考えるリミットにしていたのは間違いなかった。

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