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» 2019年03月01日 07時45分 公開

「内省と対話」を繰り返して得たもの:麻布、東大、興銀……エリートコースをあえて捨てた男の仕事論 (2/6)

[森永康平,ITmedia]

26歳で「うつ病」に

―――とはいえ、東大を卒業して、今度は新卒で日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)に入社するわけで、依然として第三者的に見れば「エリートコースを邁進中」ですよね? 興銀時代は紆余曲折あったけど、ブレイクスルー(突破口)のポイントもいくつかあったようですが。

 そうですね、いわゆる“エリートコース”は歩み続けていました。でも、同期160人のうち東大卒が40人。それ以外も京都大学や一橋大学を卒業した秀才ばかり。しかも興銀は秀才であるうえに、体育会系や肉食系の同期ばかりだったんです。だから、そういう同期と比べて「自分はそんなにすごくない」とつらい気持ちになることが多かった。そんなこと気にせず生きていけばよかったのかもしれないけど、当時はそれができませんでしたね。

 入社してからいくつかブレイクスルーのポイントがあるんですけど、まず26歳の時にメンタルをやられて会社に行けなくなったんです。今でいう「うつ病」ですね。休職はしなかったんだけど、休みながら会社に行くという毎日でした。自分は何もできないし、完全に自信を失っていたんです。

 でも、そんなある日、マンション会社の分譲の新規案件で、お客さんから「伊藤さんやってくれ」って指名されたんです。バブル崩壊後だったから、どこも融資しない。その会社もメインバンクから順に融資をお願いしていって、次々に断られ続け、10番手ぐらいの興銀にたどり着いたんですね。今考えればそんな背景だったんですけど、「入社4年目で初めて頼られた!」って思いうれしかったんですね(笑)。入社してから誰かに頼られたのが初めてで、「絶対にやってやろう!」と思ったんです。でも、何もできない社員ですし、弱っていて体力もなかったから、課長に相談しにいきました。そしたら、課長が「オレを説得できれば、銀行全体を説得して回ってやる」と。

 その課長の言葉がうれしくて一生懸命やりだしたら、周りの先輩達もサポートしようという雰囲気になったんです。「あの伊藤が頑張っているぞ!」って(笑)。登記簿謄本の取り方、用地の写真の撮り方、土地の価値の計算方法、稟議のあげ方も分からないところから始まったんですけど、周りのサポートもあって、先方の希望条件よりもキツくなってしまったものの、融資ができたんですね。そして、その会社の社長たちと泣きながら抱き合った。仕事のスキルは全然足りないんだけど、一生懸命やって、取引先も喜んでくれた。やることをやれば認められるんだって。そこで、大事なことは「やってみること」なんだって思いました。

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