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麻布、東大、興銀……エリートコースをあえて捨てた男の仕事論「内省と対話」を繰り返して得たもの(4/6 ページ)

» 2019年03月01日 07時45分 公開
[森永康平ITmedia]

MBAは総合格闘技みたいなもの

―――その後、文具メーカーという畑違いの会社に転職する訳ですが、どのような経緯があったのでしょうか? そして、そこでどのような経験をして現在に至るのか、すごく気になります。

 いろいろなご縁があって、プラスという文具・オフィス家具メーカーのオーナーである今泉嘉久さんにお会いしたのです。そこで、今泉さんが「お客さまの満足は当然大事だが、その前に従業員の満足が重要だ」と仰っていて、今ではそういう従業員満足度が大事だ、という人は増えましたけど、当時はそんなことを言っているのは今泉さんだけだったんですね。それで惚れこんでしまって、2003年36歳の時にプラスという会社に転職しました。私が所属したのは、オフィス用品の卸売、デリバリーサービスを手掛けていたカンパニーです。

 銀行出身なので経理や財務の仕事ならできると思ったけど、転職する以上、事業のダイナミクスや会社の構造を知りたいと思い物流部門に入ったんです。当然ですけど、世界が違いすぎて分からない事ばかりで、最初は正直「転職して失敗したかも?」と思いました。でも、なんか壁を超えたら一気に見えるかも、みたいな感覚があって、銀行時代の同僚に相談したら、「(社会人大学院である)グロービス経営大学院に通ってみたら」と紹介されてMBAの勉強を始めました。

 MBAって「役に立たないっ!」と批判されることもあるし、起業するときや営業やサービス業などでは実際には活用しづらい場面や職種もあると思うんですけど、自分にはバッチリとハマりましたね。MBAって総合格闘技みたいなものなので、アレもコレもオールマイティーにできるように訓練するので、事業統合とかターンアラウンド(事業再生)を手掛ける人には最適だと思います。

 転職後は物流のオペレーションを可視化したり、コスト構造を明確にしたりして、会社のビジネスモデルを方程式にしていく。そうやって仕組みや枠組みを作っていってガンガン成果を残し、平社員で入社しましたが1年で部長になりました。その後は社内で、成長が止まった事業の統合などをやりました。そこでMBAが生きたのですが、統合相手や取締役会での経営陣との対話だけでなく、戦略策定からシステム統合、果てには物流センターの棚の配置まで、全てをリードしました。

 リーマンショックの後に事業統合して、10年には売り上げが前年比で120%になったんですね。売り上げ増とコストダウンによって、会社が自由に使えるキャッシュである「フリーキャッシュフロー」に至っては2000万円から4億円と20倍まで伸ばしました。

 その後、グロービスから誘いがあって、大学院で教える側に立つことになったんですけど、それがきっかけで当時ヤフーの社長だった宮坂学から誘われて現職に至ったんです。

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