土肥: 平成の30年を振り返ると、街の風景が大きく変わりました。平成の大合併があって、チェーン店が増えて、金融機関が次々に合併して。このほかにもアクアラインが開業したり、六本木ヒルズができたり、東京スカイツリーが誕生したり。さまざまな変化がありましたが、こうした動きに対して地図も大きく影響を受けたのではないでしょうか?
竹内: 昭和の時代、地図をどのようにして作製していたのか。主要都市は道路などを詳しく表示する必要があったので、1万分の1などの縮尺でつくっていました。地図を作製するためには、その基となる「基図」が必要になるわけですが、どこで手に入れることができるのか。各自治体の担当者に連絡しなければいけなかったんですよね。
新しい地図を作製するたびに、編集者は電話をして、基図を入手しなければいけません。こうした地道な作業を繰り返していたのですが、昭和から平成になるころに、当社ではデータベースを構築しました。現在でもそのデータベースは活用していて、新しい道路ができればそこに情報を追加して、新しい鉄道の路線ができればそこに情報を追加して。そのような作業をしながら、地図をつくれるようになったので、ものすごく効率がよくなったんですよね。
土肥: ふむふむ。
竹内: 昭和から平成にかけて、街の風景はどのように変わったのか。東京の場合、「新宿が大きく変わったのでは?」「いや、渋谷では?」と思われたかもしれませんが、2つの街は以前からたくさんの商業施設があるので、地図を見てもそれほど大きな変化はうかがえないんですよね。以前からゴチャとしていて、いまもゴチャとしている感じで。
土肥: 確かに、30年ほど前の地図といまの地図を見比べても、それほど大きな違いはないですね。
竹内: では、どの街が大きく変わったのか。お台場なんですよね。ご存じの通り、このエリアは埋め立て地でして、30年ほど前は殺風景な雰囲気が漂っていました。工場や倉庫などが並んでいて、一般の人は足を運ぶようなところではなかったですよね。
土肥: 他のエリアを見ると、幹線道路やランドマークになるような建物には色がついていますが、当時のお台場は開発が進んでいなかったので、地図にほとんど色がついていなかったわけですね。
竹内: はい。
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