数々の実験が示す通り、ほとんどの人は自分の能力を正確に把握できておらず、実際よりもかなり高めに見積もっている。
だから、それに反する事実(例えば成績、学歴、資格、年収など)を話に出すと、自分の認識と評価のギャップに怒る人がいる。(参考:人は自分の信念に反する事実を突きつけられると、過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう)
例えば、ある人事評価で「TOEICの点数が足りないので今年は昇進不可です」と上司から告げられた人が怒っていた。彼いわく「英語力はTOEICなんかでは測れない」というのだ。仮にそれが正しいとしても、TOEICが評価の要件に入っていることを彼はかなり前から知っていたはずだ。それでも彼は理不尽だと怒っていた。
つまり、それで怒るのが人間の本質なのだ。
そして彼は、他の人から言われた「あなたには、試験なんか必要ないはずですよねー」という一言で、怒りが収まったようだった。
人は、ささいなことで「自分が低く見積もられている」と感じやすいので、とにかく「あなたは優れている」伝える必要がある。
それはとても疲れることではあるのだが。
日本国憲法では、「法の下の平等」を求めているが、あらゆる人を真に平等に扱うと、怒る人の方が圧倒的に多い。
実のところ、男女を完全に平等に扱うと、「完全に同じ態度であることに怒る」人はとても多い。また、金持ちにも貧乏人にも同じ態度を取ると、金持ちからも貧乏人からも怒られる。
「じゃあどうすればいいんだよ」と思うだろうが、答えは簡単で、全員に「あなたは特別だから」とこっそりと告げるしかない。
もちろん建前、ルール、規律などは「平等」を基本としていなければならず、ダブルスタンダードは非難の対象となる。
しかし、ほとんどの人は常に「自分だけは特別扱い」を望んでいる。
ある夜、彼が当直をしていると、電話がかかってきた。
受付からの電話の内容は、その病院の偉い人(医者ではない)が、「自分(偉い人)の知り合いの子どもが熱を出しているそうなので、診てほしい」と連絡してきた、というものだった。
彼は、「この病院は、夜間小児科外来はやっていないので、〇〇病院を受診するように伝えてください」と近隣の救急病院の名前を挙げて、丁重に断った。
その病院は、夜間に外来で軽症の子どもを診療する体制が全く整っていなかったし、もともと、そういう条件で勤めているのだから。診てもらう子どもにとっても、その方がよいはずだと思ったから。
しかし、彼の対応は、のちに問題視されることになった。
その偉い人は、「小児科の医者がいるのに、何で診ないんだ。医者は患者を診るのが仕事だろう、俺のメンツをつぶされた」と、彼と彼の上司を叱責したのだ。
「あなたが一番ですよ」というメッセージを使えば、人の怒りを回避可能だ。これは、組織の中で生きる上で、摩擦を大きく減らすことができる。
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