――ここからは模型メーカー、タミヤの社長として伺います。国産プラモデルは18年に60周年を迎えました。タミヤと言えばMMシリーズの戦車や、1/350の戦艦大和、1/32の零戦といった印象が強いのですが、ミニ四駆のシリーズが現在は大きな部分を占めていると聞きます。ミニ四駆やラジコンは自動車の会社ともコラボレーションしていますね。
トヨタ自動車さんや本田技研工業さん、マツダさんともコラボしています。子どものころからクルマの名前を覚えてもらう。それが日本の自動車業界の方針なのです。今日もトヨタさんの自動車を展示していますが、若者のクルマ離れにも一役買ってくれればいいと思いますけどね。
おもちゃというのは完成されているものですが、先ほど申し上げた通りプラモデルは自分の手で組み立てるものです。プラモデルを作ると自動車の構造もイメージできるようになりますね。
――事業的にもミニ四駆が占める部分は大きくなっているのですね。
確かに現在、戦車や飛行機といったスケールモデルというジャンルはなかなか厳しい。でも車は好調です。ミニ四駆はスケールモデルではなくて、モーターで走らせる四輪駆動の車です。デザインは実車をデフォルメしたものもありますが、ほとんどが架空のデザインです。それをコースで走らせてスピードを競う。
ミニ四駆の最初のキットを作ったのはもう30年以上前です。当時、実際の車で四駆ブームがありました。アウディのクワトロが話題になり、四駆専門の雑誌も出ました。「これは四駆の時代が来たかな」と思い、だったら子ども向けにも価格が安い「走る四駆の模型」を作ったらどうかということで、ミニ四駆というものを考えたのです。
当時ラジコンカーでも四駆の商品が出ていましたが、子どもたちは高くて手が出せませんでした。送信機だけでも1万円以上、全部含めると2万円以上はしましたので。だからみんな指をくわえて見ていたのです。そこで「子どもでも手に入る四駆は何だろう」と考えて作ったのがミニ四駆でした。もともとタミヤでは昭和40年頃にスロットレーシングカーを作って世界で売った実績がありましたから、走る車の模型を作るのはお手の物でした。
――子どもをターゲットにしたのですね。
ところが実際に販売してみると、鳴かず飛ばずでした。がっかりするくらい売れない。ジープ好きで有名なアニメーターの大塚康夫さん(編注:『ルパン三世』なども手掛けたアニメーター)にアドバイスしてもらって、コミカルミニ四駆なんて作りましたが、これも小ヒットということころでした。
試行錯誤の末、スピードに特化したら、爆発的に売れました。小学館の『コロコロコミック』とのコラボなどもありましたが、子どもが求めているのはスピードなのだと分かりましたね。それで専用コースを作って、競技会をやるようになった。そうすると子どもたちはスピードを上げるためにいろいろと工夫する。車体のカバーを極限まで薄くして軽くしたり、逆にコーナーで安定性が出るようにシャーシを重くしたり。子どもは遊びの天才だと思いましたね。それで昭和の終わりと平成の6、7年くらいの2回にわたって大きなブームが来ました。
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