「東急8000系」誕生から50年 通勤電車の“いま”を築いた、道具に徹する潔さ杉山淳一の「週刊鉄道経済」(4/5 ページ)

» 2019年06月07日 07時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

8500系が登場、東急の主力車両へ

 外観は平凡、中身は先進。そんな8000系は1969年に登場した。しかし、その用途となる二子玉川〜渋谷間の地下路線の開業は8年後の77年だ。8000系は8年間も本来の役目を与えられず、まずは東横線に導入された。72年までに5両編成21本、73年から田園都市線向けに4両編成5本が導入され、東横線は中間車を追加して6両編成化が進められた。東横線、田園都市線とも、現在は10両編成である。しかし当時は5両編成、4両編成で足りた。その後、プラットホームの延伸と合わせて、少しずつ長編成化されていく。

 74年に8000系のバージョンアップ仕様として8500系が登場する。8000系は新玉川線向けに製造され、当初の想定は6両編成で4両が電動車、2両はモーターなしの運転台付き車だった。しかし、半蔵門線内の急曲線・急勾配区間で故障車を連結して走るために、さらなる性能が求められた。しかも中間車に誘導無線装置を取り付ける必要から、中間車1両は障害を避けるためモーターなしとする必要があった。そこで、運転台付きのモーター搭載車を導入することにして、6両編成で5両が電動車、1両をモーターなしの中間車とした。

 結果として初期の8000系は田園都市線と東横線の大型化を推進する役目で終わり、8500系が東急電鉄の主力車両となる。8000系ファミリー677両のうち、8500系は400両が製造されて、最大派閥となった。80年にはモデルチェンジ版の8090系が登場する。8090系は車体設計に航空機と同じコンピュータ解析を採用し、ステンレス素材の使用量を大幅に減らした。日本初の軽量ステンレス車体を採用した電車である。8000系の先取りの伝統を継承したともいえる。

photo 8500系電車は8000系グループの1つに分類されている。現在も田園都市線で活躍中(画像提供:田都くん

 初期の8000系は、8500系車両の中間車に組み込まれるなど、存在感が薄くなった。しかし、8500系の増備によって再び8000系編成が復活。東横線の東京メトロ非直通運用、大井町線のローカル運用で活躍した。鉄道車両の宿命として、新型車両の導入によるローカル線への転属と、押し出される形での廃車が進み、2008年に全車が引退した。東横線では08年1月13日にさよなら運転が行われ、記念ヘッドマークの取り付け、車内への記念ポスター展示、特急運用によって花道を飾った。大井町線用に残った1編成も1カ月後に引退した。

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