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「奇跡のウナギ缶詰」物語――“日本一の防災”目指し始まった「町おこし」「土用の丑の日」間近(2/5 ページ)

» 2019年07月11日 05時00分 公開
[三田次郎ITmedia]

釜石の奇跡 片田敏孝教授に面会

 そうした町長の背中を押した人物がいた。津波避難の研究者、片田敏孝・群馬大教授(現・東京大特任教授)である。片田教授は東日本大震災の被災地・岩手県釜石市で大震災以前8年にわたり手弁当で防災教育を指導。犠牲者が約1000人にのぼった釜石市で、小中学生ほぼ全員約3000人が自主的に避難する成果に結び付けた。片田教授の著書を熟読していたという町長はたまらず、東京まで足を運び、片田教授に面談を請うた。

 片田教授は大震災以降、全国の自治体からひっぱりだこで、面談の約束をとりつけなかったが、講演と会議の合間をぬって都内の高知料理店に飛び込んできた片田教授は町長の顔を見るなり、意外な一言を発した。

 「町長、津波34メートルが日本一の想定で良かったやないですか。だったら、日本一の防災をすれば注目を浴びますよ。その勢いをかって、町おこしをすればいい」

 それからの町長の決断は早かった。「防災×町おこし=防災缶詰工場」とかねて検討していた構想の実現を急いだ。町内で競合事業者がいない缶詰工場なら問題ない。防災缶詰なら被災した際の備えにもなるし、南海トラフ地震への警戒感が高まるにつれ、商機も拡大する。 

 町長は防災食の新機軸を打ち出すため、友永さんらを、大震災後に救援に向かったことのある宮城県気仙沼市に走らせ、被災者から聞き取り調査を行わせた気仙沼の人々の言葉の端々には「つらい経験を次に生かして欲しい」との思いがあふれていた。

 「栄養不足で口内炎になり痛さで泣きながら食べものを口にした」「刺身を口にしたときは涙が出るほどうれしかった」……。こうした言葉から、災害時に必要なのは「食べ慣れた食材」。それが日常を取り戻す安心感につながると感じ取り、防災缶詰のコンセプトを「毎日食べたい日(非)常食」と決めた。そして、食べ応えを求め、見栄えもふだんの「できたての料理」と変わらないゴロッとした食材の形を保つため、手詰めにこだわった。

 友永さんらは「保存期間の長さだけではなく、いつでも食べたくなるぐらい、おいしくなければ意味がない。『非常食』であり、『日常食』であることを目指した」。長期保存といっても3年間だ。日常的に使ってもらえなければ、ローリングストックに結び付かない。

photo うなぎ缶セット7000円

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