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「奇跡のウナギ缶詰」物語――“日本一の防災”目指し始まった「町おこし」「土用の丑の日」間近(3/5 ページ)

» 2019年07月11日 05時00分 公開
[三田次郎ITmedia]

町職員が奔走 「黒潮町缶詰製作所」スタート

 時は2013年の夏。町長は間髪いれずに工場設置の目標を年度末とぶちあげた。開業まで「あと8カ月」。友永さんらが近隣の自治体に似たような事例を探したが、示された工程表は「17カ月」だった。ともかく、町の存亡がかかっているとばかりに、かつてブルドーザーと異名をとった田中角栄元首相ばりに突き進む町長を前にしては、「睡眠時間を半分に減らして闇雲(やみくも)に走るしかなかった」。友永さんと担当職員1人との二人三脚が始まった。

 しかしながら、自治体が食品工場を運営する事例などそうあるものではない。全く素人の町職員が食品メーカー社員に混じり、講習を受け、「包装食品技術管理者」の資格をとるところから始めねばならなかった。レシピは気仙沼市での聞き取り調査から「ほっとする」地場の食材にこだわった。

 フードコンサルタントらの協力を得て100ほどサンプルを作るまでこぎつけたが、町長は食物アレルギー対応にこだわり始めた。被災地でもそうした声はあった。「被災者にやさしいというコンセプトは弱者にやさしいと読みかえるべきだ」と町長がいいだした。結局、7大アレルゲン(乳・卵・小麦・そば・落花生・えび・かに)対応とすることになった。

 そうなると、小麦・大豆の醤油(しょうゆ)は避けて、米、雑穀醤油に。乳製品やクリームも使えない。えび、かにをふくんでいると考えられる魚の内臓をきれいに取り除いた魚肉しか工場には持ち込めないといったことなどの制約が生じた。しかし、このこだわりが、のちに、アレルギーに悩むユーザーのネットワークに販路が広がることにつながった。昨年は「アレルギーEXPO」への出展の実績もできた。

 そして14年3月11日すなわち、「あの日を心に刻もう」と東日本大震災3年を迎えた日をもって「黒潮町缶詰製作所」がスタートした。トレードマークは、おなじみのアオハタの缶詰のように、はためく青い旗に想定津波高の「34M」の3文字を刻み、困難に立ち向かう心意気を示した。構想を固めてから8カ月で開業にこぎつけた。スローガン「We can(缶)project」を成し遂げた。

 友永さんはいう。「無から生み出す粘り強さは町役場のDNAだ」。約30年前、バブル景気のまっただ中。全国の自治体で競って箱もの建設にいそしんだ時代、若者が相次ぎ上京したなかで、地元にとどまり、その後幹部になった職員を中心に、町の「最大の観光資源」である、4キロに及ぶ砂浜で「砂浜美術館」を“オープン”した。Tシャツアートの展覧会を始めたのだ。現在では全国に知られ、毎年5月、思い思いにデザインされた1000枚のTシャツが砂浜にはためく。そうした創意工夫の精神が黒潮町にあると友永さんは胸をはる。

photo 缶詰工場では衛生管理が徹底されている
photo 缶詰工場で缶詰が製作される工程
photo 太平洋に面した4キロの砂浜を美術館にしたてた、Tシャツアート展覧会

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