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「奇跡のウナギ缶詰」物語――“日本一の防災”目指し始まった「町おこし」「土用の丑の日」間近(4/5 ページ)

» 2019年07月11日 05時00分 公開
[三田次郎ITmedia]

当時の皇后陛下が缶詰のネーミングをご提案

 缶詰事業がスタートしてから驚くべき事が起こった。町長の背中を押した片田教授が両陛下(当時)へのご進講に呼ばれ、黒潮町の取り組みを「日本国民は津波に負けていません」と紹介し缶詰を差し上げた。後日、侍従長から片田教授を通じ、当時の皇后陛下から缶詰のネーミングにご提案があったと伝えられた。

 販売開始から2年後、熊本地震の被災地で「非常食」として活躍する機会が訪れた。被災地からコメントが寄せられた。「優しい味がしみわたりました。パッケージもすてきで笑顔があふれました」。「野菜スープが幼児食となった」。黒潮町の防災缶詰のコンセプトそのものだった。このことは、事業が軌道に乗り始めていることを示した。物産展に行くと、「黒潮町は津波で大変やね」と声をかけられるようになった。ふるさと納税の返礼品でも防災缶詰は人気だという。

 最近災害が多発している状況を受け、冠婚葬祭の返礼品や贈り物として利用されることも増えてきたという。雇用も社員4人、パート13人となった。当初のもくろみ通りとなっている。小ロットで受注できることからOEM(相手先ブランドの受託製造)の受注が増えている。食材も高知県西部、県外にも広がり、新製品も続々開発されている。

photo これまで製作された試作品の数々
photo 黒潮町で整備が進む津波避難タワー

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