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25歳で「がん宣告」を受けた営業マンが「働くこと」を諦めなかった理由――企業は病にどう寄り添えるのか新連載「病と仕事」(3/5 ページ)

» 2019年08月27日 05時00分 公開
[今野大一ITmedia]

手術後の激痛、社会との断絶 取り戻さなければならなかった「誇り」

 がんになって最もつらかった体験……。それは「手術後」だったと鳥井さんは教えてくれた。術後2日目にベッドを降りて立ち上がろうとした。すると左足がしびれ、信じられないことに30秒も立っていられない。満足に立つこともできない自分に心底ショックを受けた。傷の炎症によって39度の熱が出るなど、悶える日々は1週間ほど続く。3週間の入院を余儀なくされた。ふくらはぎはうっ血し、激痛が走る。やはり立つことすらできない。

 退院したが、100メートルすら歩けなかった。手術前は走ったりもできたのに、今の自分ができることといえば家に居て、掃除をするくらいだった。痛みが徐々に引いてくると、今度は別のネガティブな感情におそわれた。

 「ずっと家にいたので、とにかく『退屈』だったのです。元通りに働けるのか、不安もありましたし。病気で仕事ができないでいると、どうしても社会とのつながりが希薄になってしまいます。周囲から“置いていかれている感”、そして孤独感……。自分は何も価値を生み出していないんじゃないかという罪悪感にもさいなまれました。そうなってみて初めて普通に仕事をするということが、自分にとってどれほど大切なことなのか気付かされました」

photo ふくらはぎが「うっ血」するため、激痛で足を下ろせずにいた

 定期的にふくらはぎには激痛が走るので集中力を長時間保つことは難しかった。実際には家で療養するしかなかったものの、今思えば、簡単な仕事ならできたかもしれない――。鳥井さんはそう振り返る。例えばPC1台で完結する仕事。取引先への見積もりを作成したり、Webサイトのアクセス解析をしてレポートを作成したりは恐らくできた。

 「自分ができる仕事があるということは、自分にとって自信や誇りを取り戻すきっかけになると思いました。さすがに長時間は無理だとしても、PC1台で完結する作業であれば、1日3〜4時間は働けます。担当の医師からも『ずっと休んでいるより働いていた方がいくらか気が楽になるよ』と言われたのですが、本当にその通りだと思いました。テレワークがもう少し浸透してくれば、病を抱えた人も、今より柔軟に働ける未来が来るのかもしれないですね」

 鳥井さんは2カ月後の9月、職場に復帰した。最初の1カ月は内勤だったが、徐々に以前の仕事に戻っていった。手術後しばらくは、激痛によって1人でコンビニにも行けない地獄の日々を味わった。肉体的にも精神的にも厳しい日々を好転させたのは、仕事という「社会とのつながり」だ。

photo 術後1週間で、初めて包帯を取る

 職場はおおむね協力的だったが、一つだけイヤな出来事があった。当時、喫煙者だった鳥井さんに「タバコでがんになったの?」と聞いてきた人がいたことだ。「今だったら『肉腫とタバコは関係ないですよ』と言い切れますが、当時は知識がなかったので何も言えませんでした」。

 幸い経済的にはそれほどの支障は出なかった。がん保険には入っていなかったものの、治療後に掛かった医療費は高額療養費制度などのおかげもあり、ここ5年間で数十万円程度だ。

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