新幹線を水没から救え――1967年7月豪雨「伝説の戦い」が伝える教訓杉山淳一の「週刊鉄道経済」(6/6 ページ)

» 2019年11月01日 07時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]
前のページへ 1|2|3|4|5|6       

その経験は継承されたか

 水害から車両を守っただけではなく、当日も翌日以降も定時運転。これが「1967年鳥飼車両基地の伝説」だ。94年6月に制作された「大阪運転所30年記念誌」では、当時の運転科長が「(翌日、)基地周辺の側溝で鮒(フナ)を手づかみで取って休憩場所に持ち込んだ」というエピソードを寄稿している。また、検修第三科長による「ボイラー室が浸水したため、電車の抵抗器を使って電気風呂を作った」などの思い出がつづられている。27年たって、ようやく懐かしく笑える話もできるようになった。一方で脱線事故など苦い思い出もある。

 報道によると、JR東海は現在、浸水退避訓練を実施していないという。安威川の改良工事が完成したからかもしれない。またJR東日本は長野車両センターの車両を待避させなかった理由について「翌日の定時運転に備えるためだった」という。これも妥当な判断だったかもしれない。JR東日本社内も、国土交通省も、報道も、水害の前に「車両を待避する」とは誰も思い付かなかった。だから現場も責任者も責められない。

 ……しかし。

 過去の教訓が引き継がれず「誰も思い付かなかった」という状態を招いたことは反省すべきだろう。先輩たちが大変な思いをして13編成待避、定時運転維持を成した。その経験が生かされていない。これはマズい。

 齋藤雅男氏は退職後、雑誌『鉄道ジャーナル』で国鉄人生をつづり、当時は表に出なかった興味深いエピソードを披露した。書籍化されたことからも人気連載だったと分かる。その中から“新幹線の安全”に絞って振り返った本が日刊工業新聞社刊だ。その齋藤氏は2016年に鬼籍に入られた。

 国鉄改革によってJRが発足した。赤字も、職員のモラルハザードなど悪しき習慣も断ち切った。しかし、警鐘を鳴らすべき危機管理のノウハウまで断ち切られてしまったのではないか。浸水だけではなく、過去の危機と対策について掘り起こし、検証と対策が必要だ。これはJR東日本だけの問題ではない。他の分野の企業、自治体にも当てはまる。証言者たちは世を去って行く。ご存命の間に耳を傾けたい。

長野新幹線車両センターの位置。鳥飼車両基地に似ている(地理院地図)

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

乗り鉄。書き鉄。1967年東京都生まれ。年齢=鉄道趣味歴。信州大学経済学部卒。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。出版社アスキーにてPC雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年よりフリーライター。IT・ゲーム系ライターを経て、現在は鉄道分野で活動。鉄旅オブザイヤー選考委員。著書に『(ゲームソフト)A列車で行こうシリーズ公式ガイドブック(KADOKAWA)』『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。(幻冬舎)』『列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法(河出書房新社)』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」。


前のページへ 1|2|3|4|5|6       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.