クルマはどう進化する? 新車から読み解く業界動向

ヤリスの向こうに見える福祉車両新時代池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/7 ページ)

» 2019年11月18日 07時20分 公開
[池田直渡ITmedia]

 比較的時間が自由になる筆者も、父の好物を買いに出掛けたり、料理を替わったりと、それなりに負担を分担の努力はしたが、介護の主役となって一日3食戦っていた実妹は徐々に心が折れ、限界を口にし始めた。

 家族総出でそれだけやって、1日のカロリー摂取量はせいぜい80キロカロリー。「年寄りだからそんなに食えない」というにはどう少なく見てもケタが一桁違う。せめて1000キロカロリー、割り引いても800キロカロリーくらいは食ってもらわないと生命維持が危ぶまれる。

 病院で処方してもらった栄養補給液「エンシュアリキッド」で対応しようとしても、甘すぎて飲めないと断固口にしない。そうして、クリスマスの前夜、日付が変わる頃、父は遂に痙攣(けいれん)を起こし、病院へ搬送された。せっかく一度退院しても同じことを繰り返し、そしてついに施設入所以外の選択肢がなくなった。

 さて、ここまでの長い話はつまり何を目的としているかといえば、生活からクルマが消えた場合、高齢者はクルマのない新たな生活パターンを構築することができないという、1つの実例である。筆者の実家の場合、神奈川のそれなりの都市部で、かつまだ家族がそれなりに補助をできる状態なので、クルマなしでもそれなりに生活が成り立つ方だが、それでもクルマと共に失った穴は埋まらない。一般的に、高齢者は今までと違うやり方を受け入れないから、失うと取り返す方法がない。

 もちろん高齢者の事故は大きな社会課題であって、看過していい問題ではないのだが、これがもっと過疎地域で、家族が近くにいない場合、クルマと共に失う生活は極めて大きいだろう。もちろん運転ができないほど判断力が低下した人に、運転をさせるわけにはいかない。しかし、その能力を可能な限り補助して、自助生活を成立させることは、日本全体をマクロに見たとき極めて重大なことだと思う。

 自助生活を取り上げることはすなわち、介護生活を余儀なくされるということだ。それは福祉予算の限りない膨張を産むだろう。現役世代はこれ以上の福祉予算の拡大をどこまで支えられるのか?

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