就職氷河期が直撃したロスジェネ世代(1970年〜82年生まれ)。就活が極めて狭き門で、企業や国からも「放置されてきた」世代だ。特にロスジェネ世代の女性は、男性に比べ結婚、出産といったライフステージの比重が高い上に、今ほど男女平等や働き方改革、セクハラ対策の恩恵も受けられていなかった。
まだ残っていた「昭和的な働き方」と不景気の影響をもろにかぶり、男中心の会社社会で生き残りを余儀なくされてきた。そんなロスジェネ女子の働き方や就職にまつわるドラマや、日本の企業社会の問題点を追うシリーズ第3回。ブラック企業に苦しみ一時は引きこもり状態となり、苦境を脱した今も過去を生傷のように抱える、ある女性に迫った。
「真夏にリクルートスーツを着て何十社と就職活動で回ったのに、目の前で履歴書をビリビリ破かれる。つらくて、『もう面接にいかない!』と泣いたことは今でも忘れられません。私たち氷河期世代は、過酷な環境に押しつぶされた人がたくさんいると思う。バブルのしわ寄せで一部の世代が割を食ってるということを分かって欲しいんです。そして、心折れた人たちを何とか国や企業が救って欲しい」
1981年生まれの佐藤良子さん(仮名・38歳)は、そう言うと当時のことを思い出したかのように、うっすらと目じりに涙を浮かべた。
佐藤さんは、まじめそうでとても可愛らしい女性だ。大阪の女子大を卒業後、大阪市内の社員30人規模の零細IT企業に就職。大手や中規模の会社も受けたが氷河期ということもあり、全滅だった。大学の専攻が文系だったため希望は事務職だった。しかし、事務職は応募が殺到していた。
面接官に「このご時世、仕事ないでしょ。こっちだったら空いてるよ。嫌だったら辞めていいから」と言われて、回されたのはエンジニア職だった。
零細企業のため、業務内容は営業、顧客のサポート、システムの導入まで多岐に渡る。朝午前6時に出社して、終電に帰る日々。システムが止まると顧客から苦情がくる。そのため週に何回も会社に寝泊まりする日々だった。気が付くと同期は1人また2人と、体を壊してバタバタと「戦死」していった。
手取りは13万。固定給という名のもと残業代も出ない。その金額では一人暮らしすらできない。そのため、実家から往復2時間かけて会社に通勤するという日々が続いた。
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