ところで、ゲートボールとはそもそも何なのだろうか。ここまでして存続させる必要があるスポーツなのだろうか。
よく言われるのは、ゲートボールが日本発の国際スポーツという希有(けう)な存在であって、守る価値があるという点だ。柔道や剣道、空手といった「武道」が国際展開している例はあるが、娯楽スポーツでは極めて珍しい。本家である日本国内では衰退が進む一方、欧州や南米、アジア各国に普及。特にブラジルの日系人社会や、インドネシアなど東南アジアでは若者世代に人気があるという。
既に国際スポーツにもなっているゲートボールだが、発祥の地は北海道・十勝平野西部に位置する人口2万人足らずの芽室町とされる。同町の広報誌などによると、1940年代後半、町内で大麦を原料にした「代用パン」の製造販売に携わっていた鈴木栄治(のちに和伸に改名)氏が考案した。
当時は戦後の混乱に伴う物資不足で、遊び道具がなかなか手に入らなかった。そこで鈴木氏は、子どもたちのため、身近な材料を使って道具がそろえられる遊びが必要と感じ、ヨーロッパの伝統競技「クロッケー」を参考に、試行錯誤を繰り返してルールや用具を開発。その後の人生をゲートボールの全国普及にささげた。
当初は子どもの遊びとして考案されたが、1964年の東京五輪開催後に文部省(現文部科学省)が五輪のレガシー(遺産)として「国民皆スポーツ運動」を掲げる中で、突如脚光を浴び、70年代に急成長を遂げた。その背景には、昭和一桁世代が大量に現役を引退していく中、高齢者スポーツの需要が高まっていたことがある。高齢者も気軽に参入でき、一定の人数で楽しめるというゲートボールの特徴が、昭和一桁世代の「同質性を重視し、同じ分野で競いたがる」という性質と偶然マッチした上、文部省が高齢者スポーツ政策を推進したことも後押しし、高齢者から一躍人気を得た。
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