その“当たり前”は、現場でパートが量的にも質的にも基幹的な存在になっても、変わりませんでした。どんなに婦人団体が抗議しても「パートはしょせん主婦。男性正社員とは身分が違う」という、性差別で反論されてしまいました。
こういった価値観を表沙汰にするのは、今だったら「即刻アウト!」です。しかし、根っこの部分は今も変わっていないのです。
なにせいまだに「非正規は本人の自己責任」「努力が足りない」「勉強してこなかったから」などと、“個人”の問題にする人たちがいます。氷河期世代に代表される通り、非正規と正社員の境目は、その時代の経済状況など“環境”要因による影響が大きいのに、格差が広がれば広がるほど「自己責任」として片付けられてしまうのです。
いずれにせよ、人間の価値観はそうそう簡単に変わるものではないし、心はそれまで培ってきた習慣で動かされます。目の前に存在する絶対的な事実でさえ、視覚機能を無意識にコントロールし、見たいものだけを能動的に見る術を人は持っている。おまけに、人はしばしば自分でも気が付かないうちに「権力」の影響を受け、その影響力は極めて強力かつ広範囲にもたらされます。
つまり、非正規を雇う側の人たちは、“昭和のエリート”が大勢を占めています。正社員が当たり前、長期雇用が当たり前、会社に尽くして当たり前という時代に大手を振って闊歩してきた“昭和のエリート”が陣頭指揮をとったことで、不幸にも「非正規=低賃金で当たり前」が維持されてきた。
おまけに、彼らは「しょせん他人事」ですから、問題が起きて、ひずみから血が噴き出そうとも、ひたすらばんそうこうを貼るだけで対応してきました。なぜ、その傷ができたのかを考えることもせず、ばんそうこう対策をとり続けたことで新たな問題が生まれ、非正規問題は貧困問題になり、年金が少なくて困窮する高齢者の増加など、どんどんと社会全体が貧しくなってしまったのです。
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