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コロナ禍でも不文律破らず 「シウマイ弁当」崎陽軒が堅持するローカルブランド新連載・地域経済の底力(3/5 ページ)

» 2021年06月04日 17時06分 公開
[伏見学ITmedia]

地域に愛されるシウマイ工場

 シウマイを横浜名物として根付かせたのは、野並社長の祖父で初代社長の茂吉氏、ならびに父である2代目の豊氏の功績が大きい。そのバトンを受け継いで、名実ともに横浜のローカルブランドに磨き上げたのが野並社長だ。

 社長就任から今年でちょうど30年になるが、野並社長にこれまでの最大の地域貢献は何かと問うと、「工場見学という新たな観光資源を作り出したこと」だと胸を張る。これによって崎陽軒のブランドイメージを著しく向上させたという。

 横浜市都筑区にある横浜工場の見学は、現在はコロナで休止中だが、年間4万人弱が見学に訪れる。ひとたび予約受付が始まると、あっという間に3カ月先まで埋まってしまうほどの人気ぶりだ。

 工場見学を開始したのは2003年5月。元々のきっかけは、海外専門の旅行代理店を経営する知人からの相談だった。

 「(1991年に始まった)湾岸戦争によって海外旅行が減ったため、国内旅行のメニューを作りたいが、主要な観光地は大手旅行会社が押さえてしまっている。だから崎陽軒の工場を新たな観光スポットにしたいと依頼されました」と野並社長は回想する。

 当時の工場は見学者の受け入れをしていなかったが、数年後、工場の生産能力を高めるための拡張工事を計画する際に、見学も可能な施設にリニューアルしようと検討を始めた。

 その過程で従業員にも話を聞いたところ、最初は全員が猛反対した。「俺たちは見せ物じゃない、仕事の邪魔になるなど、散々な言われようでした」と野並社長は苦笑する。

 しかし、何とか折り合いをつけて工場見学の実施にこぎつけたところ、手のひらを返したように、従業員の意識が変わったという。

シウマイ弁当の生産ラインの様子(写真提供:崎陽軒)

 「普段はチンタラ歩いている従業員が走っていたり、オーバーアクションで指示をしていたりと、モチベーションが全然違うのです。それを見て思ったのは、自分が働いている姿に関心を持ってもらうのはうれしいことなのだと。工場の人間は、それまで世間から仕事がどう評価されているのか実感する機会はありませんでしたから」

 思わぬ誤算もあった。工場見学は、域外から横浜に観光客を集めることが当初の目的だったが、実際には、見学者は地元の人たちでほぼ埋め尽くされたのである。結果的に、これが功を奏した。横浜の人たちにとって、「崎陽軒のシウマイ」がより身近な、“オラがまちのブランド”として定着したからだ。

 「家族連れなど、地元の人たちが何度もやって来ては、シウマイやシウマイ弁当の製造ラインを見たり、できたてを試食したりして楽しむわけです。工場見学は崎陽軒のイメージアップに役立つと同時に、地域貢献にもつながりました。つくづくやって良かったと思います」と野並社長は喜びを噛(か)み締める。

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