プロ野球選手の現役期間は短い。しかし、幼少期から野球に心血を注いできたゆえに、球団のコーチや少年野球の指導者以外の選択肢をなかなか持てず、セカンドキャリアに悩む人は多い。
そんな中、元横浜DeNAベイスターズの投手、中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)さんは、野球人生で3度目の戦力外通告を受けたタイミングで、同球団の営業部への転身を決意した。選手が引退後、すぐに営業に配属されるのは異例のことだ。
中後さんが引退を決断した理由、セカンドキャリアを歩む中で感じる困難と喜び、現在の仕事にかける思いを聞いた。
――3度目の戦力外通告を受け、横浜DeNAベイスターズの職員に転身を決めた際の気持ちを教えてください。
通告を受けたその日に、「職員として残らないか」と球団の方から話をいただきました。球団のベースボールスクールコーチとしての誘いだろうと当初は思っていました。しかし、後日話し合いの場に行ってみると、ベースボールスクールコーチと、“営業部”の選択肢を提示されたんです。
元選手が直接営業部に就くことはほとんどありません。同時期に戦力外通告を受けた選手が数人いましたが、職員の誘いを受けた人はみんなベースボールスクールコーチの道に行きました。ビジネスに縁もゆかりもない僕に、営業としての提案が来るとは思っていなかったので、ありがたさを感じました。
指導者とは違う方向から野球に携われる、希望の光を与えてもらったんです。
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