――選手として続けたい思いはありましたか?
最後まで悪あがきしたい気持ちはありましたし、今でも戻れるなら選手に戻りたいと思っています。でも通告を受けた当時、他球団から声がかからなかったので、自分の状況を受け入れて一線を引きました。
「選手としてできないなら、球団事業側からファンの皆さんを喜ばそう」という考えが自然と湧いてきて、営業として、職員になると決断しました。
――ご家族はどのような反応でしたか?
奥さんは、野球に関わりたいという僕の意思を尊重してくれました。もしかしたら内心不安で、他の仕事に就いてほしいと思っていたかもしれませんが、そういうことは一切言われませんでした。家族のことをほったらかして、好き勝手に野球のことだけやって、迷惑ばかりかけて。それでも支えてくれているので、ありがたいなと思っています。
選手のころは遠征や自主トレ、キャンプも合わせると1年のうち3分の2は家には帰れませんでした。今はカレンダー通りに土日休みのある生活ができているので、家族と関わる時間は増えています。特に嬉しいのが、夏に子どもと海に行けるようになったことです。現役時代はシーズン真っ最中なので絶対にできませんでした。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング