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3度の戦力外通告を受け、営業部へ 「異例」のキャリアを選択した理由は元横浜DeNAの中後悠平さん(2/5 ページ)

» 2021年06月20日 08時09分 公開
[岡のぞみITmedia]

最後まで悪あがきしたい気持ちも

――選手として続けたい思いはありましたか?

 最後まで悪あがきしたい気持ちはありましたし、今でも戻れるなら選手に戻りたいと思っています。でも通告を受けた当時、他球団から声がかからなかったので、自分の状況を受け入れて一線を引きました。

 「選手としてできないなら、球団事業側からファンの皆さんを喜ばそう」という考えが自然と湧いてきて、営業として、職員になると決断しました。

――ご家族はどのような反応でしたか?

 奥さんは、野球に関わりたいという僕の意思を尊重してくれました。もしかしたら内心不安で、他の仕事に就いてほしいと思っていたかもしれませんが、そういうことは一切言われませんでした。家族のことをほったらかして、好き勝手に野球のことだけやって、迷惑ばかりかけて。それでも支えてくれているので、ありがたいなと思っています。

 選手のころは遠征や自主トレ、キャンプも合わせると1年のうち3分の2は家には帰れませんでした。今はカレンダー通りに土日休みのある生活ができているので、家族と関わる時間は増えています。特に嬉しいのが、夏に子どもと海に行けるようになったことです。現役時代はシーズン真っ最中なので絶対にできませんでした。

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