3000人近い従業員を抱える会社社長の家に生まれた後、紆余曲折を経て起業した男性がいる。
「慶應ボーイとして華々しく大学デビューするが、インターンシップで挫折」「新卒で入社した企業では、三軍扱い」「父親の会社で新規事業にチャレンジするが、1100万円を1カ月で無駄にする」「失敗だらけの起業」――現在の事業を軌道に乗せるまでの“デコボコ人生”を前後編でお届けする。今回は後編(前編:「人生のピークは慶應合格」「会社では三軍扱い」――社長の息子が味わった挫折と、起業までのデコボコ人生)。
リクルートスタッフィングで3年間の修業を終え、父が創業したワールドエンタプライズに入社した諸岡氏は、新規路線の就航に伴ってコールセンターを立ち上げたり、機内食工場を立ち上げたり、いろいろな現場で経験を積んだ。
これまで父から伝え聞くだけだった会社の現場は、紙と鉛筆に支配されるアナログな世界だった。
作業工程の改良ひとつとっても、膨大な時間と労力が必要だった。ストップウォッチで時間を計り、紙で集計し、Excelにまとめ、ボトルネックを洗い出すのに1カ月かかることもあった。
改良した手順を従業員に伝えるために、マニュアルを作るだけでなく、朝礼でも呼びかける必要がある。ただし、シフトの関係もあり、全員に伝わるのは1週間後。
その非効率さと戦いながら3年ほど経った頃、社内のリソースを使って航空関連以外での事業立ち上げを模索する。
思いついたのはテンプレートを用意しておき、Web上で簡単にデザインできる求人広告作成サービスだ。
しかし、これはニーズを完全に見誤っていた。多くの企業はデザインにこだわるよりも、広告費が高くなっても丸投げしたいと考えていたのだ。
結果、制作に1100万かけたサイトは1カ月で閉鎖に追い込まれた。この大失敗を機に、社長である父からも、役員からも白い目を向けられるようになってしまった。
そんなときに知ったのが起業家向けのプログラミングスクールだ。そこで学べば、アイデアをかたちにするときに、わざわざ多額の投資をしてサイトを立ち上げる必要もなくなると考えた。
「すぐに、父に『1年間休ませてくれ。プログラミングを勉強して、事業アイデアも考えてくる』と直談判しました。
そしたら、楽なほうに逃げ出そうとしていると誤解されたようで、『スクールでも何でも好きにしろ。もう会社に二度と帰ってくるな』と、これまでないくらいに怒られました。
何度も話すうちに少しは態度も軟化しましたが、それでも『1年やってダメだったら、おまえはもう一生、俺の言うことを聞け』と」(諸岡氏)
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