ちょっと前までブームだったのに、なぜ「高級食パン」への風当たりは強いのかスピン経済の歩き方(6/7 ページ)

» 2022年04月05日 09時51分 公開
[窪田順生ITmedia]

戦前、パンは「準・主食」

 戦前の日本で、食パンは今のように「主食」ではなかったが、「米の代用品」という地位を確立していた。言うなれば、「準・主食」だったのである。というわけで、当然これまで申し上げてきた「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」というルールもしっかり適用される。

 例えば、満州事変が起きる1年前の1930年7月、「お次はパン値下げ 米の代用品が餘りに高いと警視庁が動き出す」(読売新聞 1930年7月17日)という記事が分かりやすい。

 『小市民にとつては米の代用食とも謂ふべきパンの値段が他の日用品と較べて篦棒に高いことを発見し、今度はパンの値下げを行はしむべく之が具体策に付き慎重研究を進めてゐる』

 当時、警視庁が原料などから割り出した適正な価格は「一斤八銭」。これで売っても「十分利益はある」とパン屋に値下げを強く要求したわけだが、記事中に登場する「某パン店」は「私のところでも一斤十八銭のを一斤十四銭に下げました。しかし八銭はヒド過ぎますなァ」とため息をついている。

(画像はイメージ)

 「主食は庶民に行き届くように良心的な価格で売るべし」というルールがこの時代もしっかりと健在だったことがうかがえよう。「高級食パン」に対して「高すぎる」「ぼったくり」とディスる人が多いのは、景気が悪いとか、アベノミクスがどうしたとかと全く関係がなく、われわれ日本人の伝統的な価値観に基づく当たり前の反応ということなのだ。

 これまで本連載で繰り返し述べてきたが、「安いニッポン」の根本的な原因は、中小零細企業を税金で手厚く保護をして、「とにかく倒産をさせない」という日本独特の産業構造によるところが大きい。個人よりも法人の生活保障を優先してきた結果、「賃上げは悪」を常識とする「労働者を犠牲に中小企業が延命していく」という世界でも珍しい独特な経済モデルが定着してしまった。

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