なぜそろいもそろって、カルト宗教の教祖のようなことを言い出しているのかというと数年前から、「マーケティングってのはそういうものだ」という認識が広く浸透しているからだ。
例えば、ビジネスパーソン御用達の『日経ビジネス』は16年10月10日号で「顧客を依存させる 凄い囲い込み」という特集を組んでいる。その前口上を引用させていただこう。
『「ファンを作る」「顧客とともに」…。そんな聞き慣れたスローガンを掲げ、当たり前のことをしているだけでは、顧客を引きつけるのは難しい。「あらゆる手を講じて、消費者を自社の商品・サービスに依存させる」──。今の時代、本当に顧客を囲い込みたいなら、そのくらいの気持ちが必要だ』
もちろん、これにはいろいろなご意見があるだろう。しかし、いろいろなキレイごとを並べたところで、マーケティングというものには多かれ少なかれ、このような「現実」があることに異論はないだろう。ファン、リピーター、ヘビーユーザー、常連客、いろいろ呼び方はあるが、それらに共通しているのはその製品やサービスに心も体もベッタリと依存しているということだ。「依存」をしているから何度でも購入する。「依存」をしているから他に浮気をしない。
これこそが、華々しい実績もある「敏腕マーケター」が、「覚醒剤」などという不適切極まりない言葉を使ってしまった理由の一つではないか、と筆者は考えている。
つまり、「顧客を依存させたい」ということを朝から晩まで思いつめて考えていたところ、いつの間にやらそれが頭のほとんどを占めるようになってしまって、人としてのモラルも、社会人としての一般常識もスコーンとどこかへ飛んでしまった。その「空白」にひらめいたのが、「生娘シャブ漬け戦略」ではなかったか。
「いやいや、オレもマーケティング担当役員だけど、施策をシャブに例えるなんてことは頭によぎったことないぞ!」「百歩譲って、覚醒剤に例えたのはそうだとしても、そこで“生娘”なんてキモい言葉が出てくるのは、この人の女性蔑視のあらわれだ!」など怒声が飛んできそうだが、筆者はこの人をかばうつもりはサラサラない。先ほど申し上げたように、実際に薬物によって地獄に落ちた女性たちが世界中にいる以上、許されない失言だ。
共感もしないし同情もできないが、こういう非常識な失言が生まれてしまう精神的な土壌は、なんとなく理解できると言いたいのだ。
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