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「上場時に、うちの株を全部売ってほしい」──“IPO革命”は、なぜ実現できた? ラクスル永見CFOに聞く対談企画「CFOの意思」(4/4 ページ)

» 2022年04月22日 11時30分 公開
[小林可奈ITmedia]
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永見氏: 留学中、10年の夏休みにカーライルのニューヨークオフィスでインターンをした際、自分のブースのすぐ横の個室にいたのがIBMの元CEOルイス・ガースナーでした。『巨象も踊る』という本を出した人です。それから当時、米国のカーライルのプライベートエクイティ(未上場企業投資)部門のトップの人が、GMの社長に転身しました。ポスト・リーマンショックのタイミングで、自動車業界がかなり厳しい状況下のことでした。

 こうした経験から、米国では投資と経営を行き来するようなダイナミックなキャリアが普通なんだなと学びました。日本では多くありませんが、そうしたキャリアを得たいなと思いながら、いったんは日本のカーライルに戻りました。

嶺井: ウォートンはファイナンスに強いというイメージがあります。

永見氏: 卒業したら、そのままニューヨークのウォール街の投資銀行に行く人が多いというのがもともとのイメージでしたが、その当時既に「from East to West(東海岸から西海岸へ)」という言葉が生まれていました。東海岸のニューヨークのウォール街で働いていたような優秀な人たちが、西海岸のシリコンバレーに転職したり、ファーストキャリアから西海岸に行く人が増え始めたタイミングです。「アメリカだけではなく、日本もこうなるな」という予感があり、現にその後、スタートアップに金融やコンサルの人が増えました。

嶺井氏: リーマンショック後、「ITの方がクール」という潮流が出てきましたよね。それまで花形だった金融業に対して、「リーマンショックを起こしたのに結局自分たちは責任も取らず、国のお金で救済されていて、ださいよね」という見方が多かったと思います。

 09〜10年前後までは、「IT業界ってギーク、オタクみたいな人たちがいるところ」というのが一般的な認識でしたが、「本当に何かを変えたいと思っている、クールないけてる奴らがいる業界」という雰囲気に変わりました。

永見氏: アンドリーセン・ホロウィッツというファンドのマーク・アンドリーセンが、ウォールストリートジャーナルで「Software is eating the world」と書いたのもこの頃。ソフトウェアテクノロジーがいろいろな業界を侵食し、どんどん変えていくぞというわけです。もともとソフトウェアがゲームなど限られた業界にしか使えていなかったところから、実産業にどんどん食い込んで社会を変えていくというムーブメントが起こり始めた頃でした。こういった潮流にも刺激を受けましたね。

 日本に戻ってからは医療系や製造業系のビジネスを買収したり、医療系ベンチャーのソラストが未上場だった時に取締役として経営参画したりという経験を通して、企業価値の向上に貢献していました。

嶺井氏: 30歳前後で今まで経験がない業界を担当された訳ですよね。取締役会でバリューは出せるものですか。

永見氏: 営業体制の構築や営業プロセスの改善、他にもエグゼキューションに細かく入ったり、M&Aを一緒にやったり、企業のリブランディングで社名を変えたり。ハンズオンで深く関わったことで信頼を得ましたし、自分としても「経営や事業って、こうやって取り組んでいくのか」と成功体験になりました。

 ですが、留学時に得たファイナンスと経営を行き来できるダイナミックなキャリアのインスピレーションがずっとあり、「投資の仕事はいつでもできる。自分も事業会社で経営や実業に関わった方が面白い」という考えからDeNAとエムスリーを受けました。当時は両方とも時価総額3000億円ほどで、 どちらの会社も魅力的でしたが、DeNAでゲーム以外の事業の柱を作ろうと議論していたメンバーに魅力を感じ、入社を決めました。

社長からのオファーは「取締役になる or 契約終了」

永見氏: DeNAで数カ月働くなかで、経営の方向性やキャッシュの有効活用に関する姿勢が自分の考え方とは異なるなと思っていたころ、ビズリーチ経由でラクスルから6回続けてスカウトされました。当時ラクスルは、会社名を知ってる人もほとんどいない時期でした。

嶺井氏: まだCMを展開する前ですもんね。

永見氏: はい。ただ14年に15.5億円の資金調達をしていたんです。 当時それほどの規模の資金調達をしたのは、ラクスル、メルカリ、グノシーくらい。オファーを受けて一回会ってみた時に知った「仕組みを変えれば世界はもっと良くなる」というビジョンに共感しました。

 もう一つ入社を決めた理由があって、自分の父が昔、出版や印刷の仕事をやっていた頃、飯田橋や江戸川橋の印刷会社によくついて行っていて。そのときのノスタルジーがなかったら、ラクスルには入っていなかったかもしれないですね。

嶺井氏: ラクスルが向き合っている業界の課題感には、もともと手触り感があったんですね。その後、すんなりジョインされたんですか?

永見氏: 面接をしたのは実質1回くらいで、その後は経営会議に何回か参加して意見を交わし、一緒に経営できるかを確認するお見合いみたいな形でしたね。結果、3カ月後に入社し、社長の松本からは「半年後に株主総会で取締役になる or 契約終了」と提示されました。

嶺井氏: 「取締役 or 契約終了」! 松本社長からそうした提示を、受けたんですか?

永見氏: ベンチャーの空気感が全く分からなかったので、当時はそんなものかなと思っていました。後から自分も採用する側になって、普通はそんなことをオファーしないなと気付きました。ただ、入社3日後には「あんな提示をしてすみませんでした」と謝られました(笑)。

嶺井氏: 永見さんは14年4月の入社ですが、その前の期(13年7月期)の売り上げが約1.2億円。それから8年後、21年7月期は302.6億円です。入社のタイミングで、今のような成長をイメージできていたんですか?

永見氏: 印刷業界の大きさを考えれば、オンライン化が進んでラクスルの事業は理論上絶対に伸びると考えて長期でコミットするつもりで入社しましたが、まさか300億円規模になるとは思っていませんでした。

 永見氏本人も予想していなかったというラクスルの大幅な成長を、CFOとしてどのようにドライブしていったのか。多くのCFOが悩む「社長との関係」は、どう調整してきたのか。永見氏が考える「CFOに向いている人材」とは?──後編では、永見氏がCFO経験の中で得た知見をお届けする。

後編はこちら

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