さて、そうして15年に、「クルマを構成する全てがSKYACTIV化された」モデルとして「初代CX-5」がデビューした。この世代のクルマをマツダは第6世代と呼ぶ。結果を見れば、第6世代から、ハードの性能は狙った通りよくなった。究極的な理想は遙かな高みにあるが、現状のベストエフォートとしてハードウエアとしては十分戦えるものができた。それは多くの読者の知る通りである。
次はブランドイメージの向上だ。最終的なゴールはブランドイメージを上げて「良品適価」で売ることだ。小規模メーカーとして生きて行かざるを得ないマツダには、大量生産による薄利多売の選択肢は初めからない。
フォード傘下にいた時は、親会社から「この性能はクラス平均でいい」などという指示が普通に飛んで来た。規模の大きいフォードグループは数の力で戦える。同じコンポーネンツをフォード傘下の数多くのブランドでシェアして、廉価で売れば勝ち抜ける。
だから、金を掛けないことは重要な競争力の源泉だ。しかし、本能的に良いものを作りたいというエンジニアにとって「クラス平均でいい」とは冷や水を浴びせる言葉だ。並みの製品で良いから安く作れといわれて、モチベーションを高く保てるエンジニアはいないだろう。
だから独立後のマツダのエンジニアたちの中には、そうした過去の仕打ちへの反骨心もあった。エンジニアとして最良を目指す開発をして、良心に恥じぬ良いクルマを作りたい。ただし、フォード傘下で非プレミアムなブランドとしてイメージを定着させて来たマツダの立場は案外難しい。すでにしつこく書いてきた通り、絶対的な販売台数が少ない中で、多品種少量を成り立たせるためには、薄利多売による良品廉価は不可能である。かといってプレミアムを自称したところで、パブリックイメージとのズレが大きい。だから目指すとすれば良品適価しかない。
良いものを作れ。ただし高級品ではなく、アフォーダブル(手頃)であることを忘れるな。手頃かつ良いクルマ。新生マツダは、それを安売りしないでキチンと売る。それこそがマツダが目指した良品適価である。
その第一歩は製品がよくなければ話にならない。だからSKYACTIV導入で商品力を向上させた。その上で値引きをしない正価販売を打ち出す。実際には1円も値引かないわけではないが、値引きを武器にしてクルマを売らないということだ。一人一人の顧客に、ちゃんとクルマの良さ、魅力を分かってもらって適正な支払いをしてもらう。だからこそ顧客が実感できるクルマの良さは絶対に必要なのだ。
その道のりは長かった。少ないリソースの中で、時間を掛けて1車種ずつフルSKYACTIVの車両を増やしていき、それが行き渡ってからは、第2ステップとなる第7世代SKYACTIVへとさらに商品力の向上を進めた。その第2ステップの後半こそが、今注目を集めているラージプラットフォームの直6縦置きFRを主軸とした商品群である(詳細解説記事)。
さて、こうして長い時間を掛けてマツダは、一歩一歩高付加価値販売の実現に歩みを進めてきた。戦術の具体的目標は中古車価格の維持にある。マツダ地獄を脱出すれば、全ての回転が良い方に回る。その地道な活動の詳細は過去の記事「自動車を売るビジネスの本質 マツダの戦略」に書いてあるので、気になる方は参照していただきたい。主要部分だけ箇条書きで書いておこう。
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