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「仕事ができない人」に特有の、3つの思い込み働き方の「今」を知る(3/6 ページ)

» 2022年11月10日 07時00分 公開
[新田龍ITmedia]

(2)「できない人」ほど、残業でカバーしようとする

 筆者は以前、ブラック企業に勤めていたことがある。その際は、「残業こそ組織への貢献だ!」と信じてやまなかった。なにしろタスクは膨大にあるのだ。目の前に山のように積み重なっている仕事を放り投げて帰るわけにはいかない。食事のために外出する時間も惜しいため、近くの牛丼屋や弁当屋で買ったものをデスクでかっこみ、また仕事に戻る日々を過ごしていた。幸い、終電までは十分な時間があるし、平日で仕事が終わり切らなければ週末を使えばよい。

 そのような考えであったから、部署によっては19時台に帰っていく人を横目に、「そんな早く帰るなんて、大した仕事をしていないのでは?」「早く帰る社員の仕事を全部まとめて再分配したら、何人分かの人件費は浮くのに……」などと考えていたものである。

残業は永遠に発生し続け、仕事の効率は悪くなるばかり(画像はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

 あるとき、その「19時台に帰っていく人」の仕事ぶりを密着して見せてもらう機会があった。部署が違うため一概には言えないものの、その人が1日にこなしていた仕事量は、明らかに当時の筆者が抱えていたよりも多く、「この人は自分より5時間も少ない勤務時間で、自分よりも多くのタスクをこなしてるのか……」と大いに衝撃を受け、当初の疑念は筆者のあまりに傲慢な勘違いだったことに気付かされた。

 よくよく考えれば、「長時間労働している」という事実と、「それによって価値創出している」ことは全くの別問題である。確かに当時の筆者は週末もつぶして長時間労働にいそしんでいたが、決して全ての時間において集中力を保って仕事をしていたわけではなく、このような考えのもとでやっていたにすぎない。

「厳しい上司がすぐ横にいるのに、自分だけ先に帰りにくい……」
「どうせ夜は残業するんだから、それに備えて昼間は体力を温存しとこう……」
「終電まで余裕あるし、なんなら週末もあるから、ムリのないペースでやっていこう……」

 これはどう考えても「価値創出」とは言えないだろう。厳しく言えば、「集中すれば本来7時間で終わるはずの仕事を、ダラダラと12時間かけてやっていた」だけだ。

 法律上、厳密にいえば残業は本来あってはならないものだし、やるとしても上司の許可を得て特別にとれるイレギュラーな手段でしかない。「残業は貢献」という都合のよい大義名分を用いて、実際は非効率な仕事を冗漫に続け、結果的に自らを必要以上に疲弊させるという悪循環に陥っていたといえよう。

 そんな気付きがあって以降、筆者は段階的にではあるものの、短時間で効率よくタスクを処理できるよう工夫をし始めた。一度目にした書類やメールは絶対に「保留」にせず、「今すぐ返信」か「返信時間を決めて返信」か「削除」を決める。これによって余計な見直しの時間をカットできた。また「意思決定者が多い事案から先に取り掛かる」ことで、意思決定や確認に伴うムダな待ち時間が減った。

 残業が恐ろしいのは、残業することでタスクがなんとかこなせてしまうことだ。当たり前と思われるかもしれないが、そのままでは、膨大なタスクをこなすにあたってのソリューションが「残業」一択になってしまうのが問題なのだ。

 残業が発生するのには必ず何かしらの理由がある。それは「タスクの絶対量が多い」ためか、「仕事の進めかたにムダやムリがある」のか、「管理職の指示や優先順位付けが間違っている」か、「組織やシステムに不効率なボトルネックがある」か──これらのような「残業が発生しているそもそもの原因」を解消せず、残業だけに頼ってタスクをこなしている限り、残業は永遠に発生し続け、仕事の効率は悪くなるばかりである。 

残業は永遠に発生し続け、仕事の効率は悪くなるばかり(画像はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

 できる人は、簡単に「残業」や、最後のバッファーである「週末」に頼らない。残業が発生している根本原因にメスを入れ、ムダなタスクは止め、ITやシステムに任せられるものは機械化し、仕事の密度を濃くして定時内で集中して終わらせようとするのだ。そうすれば余裕時間を自分の人生のために費やすことができ、プライベートで得たインスピレーションがまた仕事でも生かされることになるだろう。

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