なにかを伝えるコミュニケーションはすべて、「伝え手」が伝える事柄をいったん表現し、「受け手」がそれを見聞きする、という2段階のプロセスを経ています。
別のいい方をすると、伝えるコミュニケーションは、「表現する」と「見聞きしてもらう(文章でいえば「読んでもらう」、お話でいえば「聞いてもらう」)」という2つの行為から成り立っているということ。
コミュニケーションの橋はひとつではなく、2つあるのです。
でも、なぜこの構造だと「伝えたいこと」がすんなりと伝わらなくなるのでしょうか。
一番のポイントは、先ほどの図の「第2の橋」にあります。
伝え手としては、伝えるからには受け手との間にコミュニケーションを成り立たせたい。にもかかわらず、この「第2の橋」を伝え手自身で架けることができないのです。
例えば、先ほどお話しした子どもへの説教であれば、親は子どもに対して、「勉強しないと、ろくな大人になれない」「自分は勉強しなかったことを後悔している」などと伝えたいと思っている。
その考えを、思いをこめて、言葉を選んで、自分なりにきちんと「表現する」ところまでやったとしましょう(第1の橋を架けた)。
でも、その話を子どもが聞いてくれるどうか(第2の橋が架かるかどうか)は、また別の話です。
もちろん「聞いてほしい」とお願いすれば、耳を傾けてくれるかもしれませんが、それでも最後までしっかりと聞いてくれる、意識を向けて話につきあってくれるという保証はどこにもありません。
「話を聞く」という行為を伝え手が強制することはできませんし、仮に強制的に聞かせることができたとしても、真剣に聞くかどうかは受け手次第。受け手が決めることです。
受け手はその話を聞くこともできますが、聞くのをやめることも自由にできる。伝え手にとって大切な話であろうが、思いがつまっていようが、そんなことは(シビアないい方をすれば)受け手には関係がありません。
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