時代はRevOpsへ。成果を上げるマーケティングとセールスが連携する仕組みとは
【開催期間】2024年1月30日(火)〜2月25日(日)
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ツールを導入してマーケティングを強化する企業が増えている一方で、思い通りの成果を出せないと感じている企業が多いことも事実だ。セールスとマーケティングを連携することで、売上に貢献する仕組みづくりを解説する。
上場後のスタートアップの資金調達や成長支援を行うグロース・キャピタルの嶺井政人CEOが、現在活躍するCEOと対談。その企業の成長の歴史や、CEOに求められることを探る。
今回対談したのは、ChargeSPOTの設置台数日本一(※)を誇るINFORICH社の秋山広宣CEOだ。同社は、日本初(※)のモバイルバッテリーシェアサービスのChargeSPOTを展開している。バッテリースタンドはコンビニや駅など全国4万台を設置。国内のマーケットでは8割以上のシェア(※)を占める(以上※は「INFORICH調べ 2023年9月時点」)。
秋山CEOはトリリンガルラッパーの「日華」として活躍後、2015年に創業。18年4月からサービスを開始したChargeSPOTの成功によって、22年12月に上場を果たした。短い期間で事業を大きく成長させた秘訣に迫る。
驚異的なのは、ChargeSPOT事業の成長スピードだ。18年にサービスを開始すると、コロナ禍でも設置台数を増やして競合他社をしりぞけ、設置台数は国内4万台を突破。アジアや欧州にも拡大中だ。22年には東京証券取引所グロース市場への上場を果たしている。
このINFORICHを秋山CEOが率いている。香港出身の父と日本人の母の間に生まれ、日本語、英語、広東語の3カ国語を操るトリリンガルラッパー「日華」としても活躍するなど、異色の経歴を持つ。ChargeSPOTの成功には、ラッパーとしての経験と、過去のビジネスの失敗から得た教訓がある。秋山CEOに事業成長の軌跡を聞いた。
嶺井: 私はラッパーとしての日華さんのファンで、一度ラップを語る会を開催させていただいたことがあります(笑)。白金高輪の焼きとり屋でご一緒して、カラオケでは日華さんの曲をご本人に歌っていただくという幸せな経験をしました。
秋山: 社員は私が歌うのを聴き飽きています(笑)。
嶺井: 3カ国語を操るトリリンガルラッパーになったのは、どのような経緯からですか。
秋山: 生まれが香港で、10歳で福島県いわき市に移り住みました。夏休みのたびに香港のインターナショナルスクールに通ったことや、ヒップホップの曲を聴くことで英語の力を維持していたと思います。高校から東京に出てきて、大学はニューヨークのカレッジに進学しました。その頃からラッパーになりたいと考えて、カレッジを中退して日本に戻ってきて、20歳から音楽活動を始めました。
嶺井: いつからビジネスの道に入ったのですか。
秋山: 25歳で事務所に入って、27歳からユニバーサルミュージックに所属して何枚かCDを出しています。音楽業界からいったん離れたのは、娘が生まれた29歳の時ですね。父親の家系が香港の原住民で、もともと日本と香港の架け橋になることにこだわって音楽活動をしていたのですが、もう少し幅を広げようと思ってコンサルティング会社を立ち上げました。福岡県の香港事務所の顧問を2年間務めたほか、日本企業の香港進出や、アジア圏でのアプリ立ち上げなどに携わっています。
嶺井: INFORICHを起業したのは15年です。どのようなきっかけから起業されたのですか。
秋山: 私はスマートフォンアプリやゲームを開発するIGNISの創業メンバーの1人で、IGNISがマザーズに上場したときに得た利益をもとにINFORICHを立ち上げました。「3年で上場するから付き合ってほしい」と頼まれて、1万円で株を持っていたのですが、当時は貧乏で妻からは「もったいない」と言われました(笑)。それが上場したことで、数千倍になりました。
嶺井: それはすごいですね。
秋山: みなさん株式というものを知った方がいいと思います。相当人生が変わりますよ。
嶺井: その資金をもとに、最初はどのような事業をしようと考えてINFORICHを立ち上げたのですか。
秋山: 当時ニューヨークで流行っていたフォトブース事業の「PICSPOT PRINTER」です。香港の友人から聞いて、これは日本にないサービスだと思って始めました。InstagramやFacebookなどSNSに投稿した写真にハッシュタグをつけると、無料でプリントアウトできるサービスです。企業や商品の名前のハッシュタグがついていたら、そのアカウントの情報を企業に渡すB2Bビジネスですね。500以上のクライアントとイベントなどを展開しました。
嶺井: その後、現在のメイン事業になっているChargeSPOTを18年にスタートさせています。ChargeSPOTを始めたのは、どのような流れからだったのでしょうか。
秋山: PICSPOTではたくさんの失敗をしました。その敗因を教訓にしたのがChargeSPOTです。
嶺井: 失敗とは、具体的にはどのようなことですか。
秋山: PICSPOTは10万台に拡大することを目標にスタートしました。当時全国に45万台くらいあったプリクラを、PICSPOTに置き換えることが目的です。ユーザーにとっては無料でほとんど同じサービスを受けられるので、目標達成は可能だと考えていました。
ところが、日本初のサービスであることをPRし損ねて、後発のプレイヤーに日本初の文言を持っていかれました。後発のサービスがいっぱい出てきて、やるべきことは分かっていたのに、手を打つのが一歩遅かった。後発が出てくることを見越したビジネスができていませんでした。
あわせて感じたのは、ライセンスを取ってビジネスをすることの難しさですね。米国のライセンスを日本で独占する形で始めましたが、結局は自社で開発し直しました。ライセンスではなく、自社で始めた方がビジネスをしやすいと感じました。その頃に、ハルピンから香港に遊びに来た友人から、中国でChargeSPOTの原型となるサービスが流行っていると聴き、「これはいける」とすぐに動いたのが始まりです。
嶺井: ChargeSPOTには、PICSPOTの教訓をどのように生かしたのでしょうか。
秋山: 最初は中国の5社ほどあるビッグプレイヤーに、ライセンス契約の交渉をしていました。直接交渉に行った時には、あえて広東語や中国語を話せないふりをして、生の情報を集めました。しかし、なかなか金額が折り合いません。
嶺井: その場で本音が聞こえてくるのですか。
秋山: 内輪で相談している話が聞こえてきますから(笑)。なかなか真摯な交渉ということにはならないですよね。
それで、ある1社との交渉がうまくいかなくて、車で香港に戻っている途中に、香港の経営者同士が情報を共有するWeChatのグループに、私たちがやりたい事業の香港のスタートアップが増資か売却をしたいという情報が出てきたのです。
これはサービスを丸ごと買収するチャンスだと思い、すぐにアポを取って、確か4日後くらいに会いに行きました。それで2回目に会った時に買収に合意していました。18年4月に日本でサービスを始めています。
嶺井: 基本合意から半年でサービスを開始しているのは、すごいスピードですね。どのように交渉したのですか。
秋山: 私たちはPICSPOTによって500社のパートナーがいたので、すぐに日本でサービスが着地できることと、日本で上場を目指すことを、初めて会った時に話しました。中国と米国は、経済的にも政治的にも常に競争状態にあります。でも、ニュートラルな立ち位置にある日本のマーケットで上場すれば、ハードを中国で作っても米国に入っていくことができます。米国や欧州、東南アジアへの展開も見据えて日本で上場しようと伝えたことで、すぐに合意に至りました。
嶺井: 買収を考えた時点で、うまくいくという確信があったのでしょうか。
秋山: 友人から話を聞いた段階でビビッときて、これはいけると感じました。長く日本に住んでいますから、携帯の充電が日本で必要だということは分かっています。それに、この会社は優良なハードの工場と契約していて、UIも持っていましたので、ローカライズも容易にできます。
この会社を買収することは、事業成長のスピードを買う意味もありました。今度こそPICSPOTの教訓を生かして、日本初のサービスを、後発に追い付かれないスピードで展開できると確信しました。
嶺井: しかし、買収するといっても、資金はあったのですか。
秋山: お金はありませんでした(笑)。買収にはそれなりの金額が必要で、すでにPICSPOTにかなりお金を使っていました。そこで、一部を株式交換のような形で当社株式を割り当て、さらに3億円を現金で支払う契約を結びました。3カ月以内に3億円を渡せなかったら、買収の話が白紙になる状態で、調達に走りました。
嶺井: すごいリスクのある契約ですね。3億円が払えない可能性もあったわけですか。
秋山: 調達できたのはギリギリでした。4億円を調達して、3億円を渡すことができました。契約書にサインして2週間後には、残った1億円のうち2000万円を使って、渋谷の109前で大々的にメディアを呼んで、日本初のサービス開始をPRするイベントを開催しました。
嶺井: 短期間での調達を成功できたのには、どのような要因があるのでしょうか。
秋山: もちろん、この投資家で決めるという気概で交渉に臨みますが、候補が一人だけでは、その投資家から了解がもらえなかったら終わりですよね。資金調達の交渉はA、B、CからGくらいまでのプランを持っていなければうまくいかないと思います。
実際に、日本ではなかなかお金が集まりませんでした。その際に香港に調達に行きました。ChargeSPOTの原型は中国で15年にスタートしていたビジネスで、すでに成功が証明されていましたので、香港の経営者や投資家には理解してもらえました。資金調達の際には、フィールドを複数持つことをお勧めします。
嶺井: 日本のスタートアップの場合、なかなか海外で資金調達する発想にはならないですよね。
秋山: でも、近い国に友人を持つことは、これからは重要だと思います。アジアの周辺の国だと飛行機に乗って2時間くらいで行けますから、日本国内を移動するのとほとんど変わりません。海外の友人のリソースを自分のリソースとして考えることで、資金調達もそうですし、ビジネスのスピードも上げられます。
それに、タイムマシンビジネスは、米国よりもアジア圏から持ってきた方が、はるかに成功率が高いといわれています。それは調達の面でも有利に働きます。米国ではある程度の規模感がなければ資金調達はしづらいですが、香港では5000万円や1億円を投資する経営者たちも少なくありません。
海外とのつながりを自分の生活の中で当たり前にしていくことで、アレルギーはなくなっていくのではないでしょうか。今の日本の20代や30代の人はそうなってきていますので、いい傾向だと思いますよ。
以上が対談前半の内容だ。INFORICHはChargeSPOTのサービス開始後もシリーズA、シリーズBと調達を続けて、わずか4年後に上場している。それも、コロナ禍でいったんは厳しい状況に追い込まれながらも、大きく成長できた。
後編ではINFORICHが短期間で上場を果たせた大きな要因である、秋山CEOの交渉力について聞く。
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