東京メトロ東西線の混雑の歴史は、数十年前にさかのぼる。
もともと東西線沿線は、町工場のような中小の商工業者などが集まる地域。1923年9月の関東大震災では、現在の「下町」と呼ばれているエリアが大きな被害を受けた。これをきっかけに、快適な住環境を求めて東急沿線など西側へ移住する人が増え、東京は西側へと発展していった。
その後、1945年3月の東京大空襲をはじめとする戦災からの復興や、高度経済成長の影響を受けて作られたのが東西線だ。東西線沿線は、都心に近い割に不動産価格が安いため、賃貸・持ち家を問わず、多くの人が住むようになった。その住民たちが、通勤・通学で東西線を利用するようになり、利用者は徐々に増えていった。
また、東西線は混雑が激しかった総武本線の混雑緩和を目的に延伸され、総武本線の乗客を分散させるために整備された経緯もある。
東西線沿線の宅地化とともに、千葉県方面からの利用者が増え、さらに都心部でも利用者が増加した結果、現在のような混雑路線になったのである。
駅ナンバリングはなぜバラバラなのか 鉄道会社の“独自ルール”が招く誤解
武蔵小杉の横須賀線ホームは、なぜ離れた場所にあるのか
なぜ、中央快速線に「トイレ」と「グリーン車」が導入されたのか
山手線にも「起点」と「終点」がある 正しい“環状線”はどこに?Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング