AI時代に語学は不要? いやいや 「台湾語」学習者が今、ひそかに増えている理由シリーズ「編集部の偏愛」(1/2 ページ)

» 2025年10月10日 07時00分 公開
[濱川太一ITmedia]

シリーズ「編集部の偏愛」:

ITmedia ビジネスオンライン編集部のメンバーが、「いま気になるもの・人・現象」をきっかけに、社会や経済の変化を掘り下げる企画である。個人の“偏愛”を軸にすることで、記事には書き手の視点や関心が自然ににじむ。日常の小さな関心が、経済の動きや兆しとどうつながるのかを、取材を通して丁寧に伝えていく。


 AIが一瞬で翻訳してくれる時代に、語学は不要になってしまうのか――。

 語学好きな筆者の、そんな焦燥感からスタートした今回の取材。前回は、従業員の語学習得に力を入れる企業にスポットを当て、企業が考える「語学の未来」について紹介した。

(関連記事:翻訳AIがあるのに、なぜ学ぶ? 楽天・パナソニック・メルカリが語る“語学のこれから”

 今回は連載名の通り、より筆者の“偏愛”を押し出してみたい。

 筆者の楽しみは、月に2〜3回オンラインで受けている台湾語(台語)のグループレッスンだ。旅行で台湾が好きになった人、以前台湾に駐在していた人、筆者のように親族に台湾人がいる人――など、年齢もバックグラウンドも異なるメンバーが集まって、講師から台湾語を教わる。慌ただしい日常を離れて、言葉の森を散策していると、心が軽くなってくる。

 中国語ではなく、「台湾語」というところが、ミソだ。

 「台湾で話されているのは、確か中国語のはず……台湾語と中国語って同じじゃないの?」と疑問に思った読者もいるかもしれない。確かに、台湾で現在、実質的な共通語として話されているのは中国語だ。近年は、中国大陸で話されている中国語と区別するために、「台湾華語」とも呼ばれている。

 台湾語は、中国語(台湾華語)とは異なる。両者は確かに親戚関係にある言語だが、互いに意思疎通ができないほど異なっている。その違いは、英語とドイツ語くらいの開きがあると言われている。例えば「ありがとう」は中国語で「謝謝」(シエシエ)だが、台湾語では「多謝」(トーシャー)という。

 そんな台湾語だが、日本では残念ながら、圧倒的に知られていない。台湾に旅行に行くために「中国語のあいさつを覚えていこう」と考える人はいても、「台湾語のあいさつを覚えていこう」と考える人は、かなり少数派ではないだろうか。

 旅行やグルメを通して、“台湾好き”は年々増えてきているのに、台湾語がほとんど知られていないのは、とても寂しい。ならばこの記事で台湾語を多くの人に知ってもらおう。

 というわけで、今回は台湾語を通して、AI時代の語学の未来について考えてみたい。

台湾語を通して、AI時代の語学の未来について考えてみたい。写真はお茶や乾物の貿易によって台北でいち早く栄えた「大稲埕:トァティウティア(台語)/ダーダオチェン(華語)」の古い街並み(筆者撮影)

精度は100点中20点 マイナー言語に太刀打ちできないAI

 「台湾語をはじめとするマイナー言語に関しては、まだまだAIの精度が低く、とても翻訳ツールとして使えるようなものにはなっていないのが現状です」

 こう話すのは、台湾語講師で『新版すぐ使える!トラベル台湾語』(東方書店)などの著書がある近藤綾さんだ。筆者のオンラインレッスンの講師でもある。近藤さんは現在、大学で台湾語を教えるほか、YouTubeなどで台湾語について発信している。

 AIは確かに英語や中国語など、話者が多い言語については翻訳のレベルが相当洗練されてきている。しかし、台湾語のような少数言語は学習データ自体が少なく、AIの出力レベルも依然として低いのが実情だ。

 「点数をつけるなら100点中20点。恐ろしいことに、これが正しいかどうか判断できるのは一握りの人間だけ。一般の人がインターネット上で調べて正しい答えにたどり着くのはとても難しく、AIによる誤った回答が『正解』として独り歩きしかねない状況です」(近藤さん)

 世界に存在する言語の数は6000〜7000ともいわれる。英語など話者の多い大言語はほんの一握りにすぎない。日本の九州ほどの面積しかない台湾でも、台湾語のほかに、客家(はっか)語や先住民諸語など、多様な民族とその言語が存在する。

 世界に広がる言語の森は、AIがまだまだ太刀打ちできないほど、広くて深い。

外来の言語を押し付けられてきた台湾

 私たちは普段、日本語を当たり前のように使って生活している。

 例えば「あすから英語を共通語とし、公の場で日本語を使うのを禁止します」といったルールが敷かれたら、日本の社会は大混乱に陥ってしまう。

 やや極端なたとえだが、台湾は、これに似た状況を2度も経験している。

 1度目は、日本が台湾を植民地支配していた1895〜1945年の50年間。この間に、日本語が台湾の「国語」として導入される。当時の調査によると、統治が始まった当初は、8割を超える人が台湾語を日常的に使っていた。しかし戦況が悪化するにつれて、公職に就く人は日本語以外の言語を使うことを禁じられるなど、締め付けが強まっていく。

 1945年、日本が敗戦し台湾の植民地支配は解かれるが、今度は、中国大陸で共産党との内戦に敗れた中国国民党が台湾に逃れてきて、台湾を統治するようになる。台湾には日本語に代わって、新たに中国語が「国語」として導入されることになった。

 独裁的な政治体制のもとで、日本語や台湾語など中国語以外の言語を使うことは禁じられた。学校で台湾語や客家語、先住民諸語などを話した生徒は、「私は方言を話しません」と書かれた札を首から掛けられ、罰金を取られたりしたという。

 テレビやラジオでも、中国語以外の使用が法律で厳しく制限され、こうした状況は1990年代初めまで続いた。この間、公共空間で自分たちの言葉を使えなかった台湾の人々は、家の中など私的な空間で、自分たちの言葉を話し続けた。

学校で台湾語や客家語、先住民諸語などを話した生徒は「私は方言を話しません」と書かれた札を首から掛けられ、罰金を取られたりした。写真は台湾・新北市の国家人権博物館で開催された「“請説国語?!” 戦後言語政策と人権問題」特別展より(筆者撮影)

 「台湾語をはじめとする本土言語(ほんどげんご)は、教育やメディアで使うことを禁じられ、家庭や地域内の音声言語として生き残ることになりました。それゆえ、本土言語はかえって各民族にとっての『魂の言語』として、特別な意味を持つようになりました」(近藤さん)

 言語はコミュニケーションの道具に過ぎない――。

 時折そんな意見を聞くことがある。ビジネスシーンなど、意思疎通さえ取れれば事足りると考えられる側面もある。

 一方で、自分たちの母語ではなく、外来の言語を「国語」として押し付けられてきた台湾の歴史に目を向けると、そう簡単には言い切れない。近藤さんは次のように話を続ける。

 「今でも選挙のたびに、候補者は、不得手でも頑張って台湾語を演説で使えるよう練習します。客家地区では客家語を一言でもスピーチに混ぜるのが定番になっています」

 「台湾において、訪問先の民族の言葉を話すことは、『私はあなたたちに寄り添いたいと思っていますよ』という姿勢の一番端的な表現方法なのです」

 言語はただの道具ではなく、使う人たちのアイデンティティーに関わるものなのだ。

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