働き方改革が注目され約10年、コロナ禍から5年。この間、企業と個人の関係は大きく変化した。2018年の厚生労働省によるモデル就業規則改定を機に、副業を認める企業が増え、リモートワークも浸透。時短勤務や育休の取得も推進されてきた。では、この先5年間の働き方はどう変わっていくのだろうか?
日立製作所は、2023年10月に社内外の副業制度の試行を開始し、上長承認のもと別部門・社外での業務に挑戦できる枠組みを整えた。越境学習と社外知見の獲得に向け、2025年度からはソニーグループや三井化学と相互副業プロジェクトも実施。副業先で自社にはない職務を経験させることによって、従業員の能力向上や新規事業開発につなげる狙いだ。
その中でも一風変わった副業人材がいる。地域活動に参画し、ビール醸造に携わっている日立の斎藤岳さんだ。
斎藤さんの肩書は「アプリケーションサービス事業部 テクノロジートランスフォーメーション本部 LSH適用推進部 部長」と、とても長い。顧客企業と、日立のLumada(ルマーダ)を使った協創活動を率いている。社内外でも「AIアンバサダー」として生成AI活用の推進役を担う。顧客の経営層に対する制度設計の提案から、現場実装までを一気通貫で支える立場にある人材だ。
なぜ数ある副業の選択肢からビール醸造を選んだのか? 管理職をしながら副業に取り組んでいる理由や、副業が本業にもたらしている影響を、斎藤さんに聞いた。
斎藤岳(さいとう・がく)日立製作所 アプリケーションサービス事業部 テクノロジートランスフォーメーション本部 LSH適用推進部 部長。同社入社後、ミッションクリティカルな大規模アプリケーション開発(金融、自動車、流通)に従事し、社内での開発効率化の成果をもとに、お客さま向けのソリューション開発・ビジネス化を推進。システムエンジニア・プロジェクトマネージャー・ITアーキテクトなど複数のロールで多くのプロジェクトを牽引してきた経験を生かし、現在は「Lumada Solution Hub」をプロダクトマネージャーとして管掌し、アプリケーション開発や日立社内でのナレッジシェアリングへの生成AI活用を推進中――斎藤さんは東京都大田区の大森で、副業としてクラフトビール醸造に関わっています。どんな経緯で始めたのですか。
もともと日立が副業を解禁していく流れがあり、初期の試行期間が終わって会社としても正式に認めるタイミングがありました。その頃ちょうどコロナも落ち着き始め、私自身の働き方を次の段階に進める状況になったんです。たまたま現在住んでいる大森という街が生活の拠点になっていて、せっかく縁があるのだから自分が住んでいる地域に何か貢献できないかとずっと考えていたんです。
私は大阪出身ですが、今は離れてしまっているので大阪に直接貢献するのは難しい。それなら今住んでいる大森で何かできることをしたい気持ちが強くありました。そこで出会ったのが、「大森ファンクラブ」(OMORI FAN CLUB)というブルワリー(ビール醸造所)の取り組みでした。
これはビールの技術を学ぶというより、ブルワリーとして街に何ができるかを考える場で、参加者を募集していたものです。その活動に面白さを感じ、副業としても挑戦できる環境になっていたので参加することにしました。ビールが好きだったので、その点も魅力でした。この取り組みを始めたのが約2年半前です。
――本業ではどのような業務を担っているのですか。
主にLumadaに携わっています。Lumadaはデータに着目し、顧客との協創を支えるプラットフォームとして展開してきました。時代に合わせて、フレームワークやソリューションの名前は変遷してきましたが、今はAIやデータとの結び付きを一層強める形で取り組んでいます。その中核にある(Lumadaが保有する協創アプローチの一つ)「Lumada Solution Hub」というプラットフォームを管掌しています。さまざまなユースケースの集約、ソリューションやプロダクトを社内や顧客に広げる役割を担っています。
AI関連の事業も推進しています。顧客がAIを活用したいと思ったときに、何から始めればいいのか分からないケースが多くあります。そうした際にトライアル環境を提供したり、日立が蓄積してきたAI活用事例をお客さまが使いやすいように汎用化したりして、最初の導入を支援しています。
私が所属しているアプリケーションサービス事業部は、さまざまな基幹系のミッションクリティカルシステムのアプリケーション開発を担当しています。その中で、AIをアプリケーション開発に活用していく領域も担っています。会社としては「2027年にシステムインテグレーション(SI)業務の効率化30%向上」を掲げていますので、その実現に向けたAIのフレームワークの適用を進めています。
GitHubの社内展開や、Miroといったツールの活用拡大にも力を入れています。顧客に選ばれるためには日立独自の技術だけでなく、オープンな技術を取り込むことが不可欠です。そのため、私たちの組織でこうしたサービスを管掌し、ライセンス提供や啓発活動などを進めています。
――本業ではLumada事業を中心に携わっているのですね。それ以前はどんなキャリアを歩んできましたか?
金融や自動車、流通を主に担当してきました。銀行、保険、証券と幅広い案件に関わり、自動車関連や流通業界のシステムにも携わりました。当時は顧客との直接対応が多く、フロントでシステム導入や運用を支援するのが中心でした。
ただ、現職でLumadaに関わるようになってからは、社内でLumadaを推進していく立場から「自社の事業をいかにして育てていくか」をブランド面で考えるなど、社内で必要なプラットフォーム化の整備に深く関わるようになりました。以前とは大きく立場が変わりましたね。
――Lumada事業に関わるようになったのはいつ頃ですか。
アプリケーションサービス事業部が、Lumada Solution Hubを担当することになったのが2021年ころです。それを機に私も関与するようになりました。日立が全社を挙げて推進している事業なので、良い面もあれば難しい面もあります。
良い点としては、全社的な施策に関われること自体が大きなやりがいであり、刺激的でもあることです。一方、浸透させる難しさもあります。全ての事業部が、全社施策でもあるLumada事業に完全に携われるわけではありません。
例えばフロントにいる社員は「顧客ファースト」で課題解決を進めます。従ってLumadaという枠組みにマッチしないビジネスが発生するのはよくあることです。そうなると、気持ち的にはどうしても遠くに感じてしまうこともあります。私自身もフロントの経験があるので、その気持ちはよく理解できます。
そのため、意見を取りまとめて実際のビジネスに結び付けるのは、難題です。日立は多くのビジネスユニットを抱えている大きな組織でもあります。鉄道や社会インフラ、ITといった多くの事業があり、それらを横断して共通の仕組みにしていくのは非常にハードルが高いのです。
――2009年には製造業最大の赤字やリーマン・ショックなど、日立にとって大きな転換点も経験してきたと思います。
2009年の赤字は、初めてプロジェクトマネージャーを務めていた時期でした。銀行系の案件を担当していて、初めて顧客の前で責任ある立場に立っていました。日立として厳しい状況の中、顧客の矢面に立って交渉しなければならず、怖さもありましたが、振り返れば若いうちにそういう経験を積めたのは良かったと思っています。
リーマン・ショックの際には、海外関連のプロジェクトを担当していたのですが、それが一気にストップしてしまいました。目の前から仕事がなくなるという経験は、衝撃でした。当時進めていたシステムは何とか納めたものの、その後の仕事は一斉に止まりました。事業環境に翻弄される厳しさを強く感じましたね。
――そうした経験を経てLumada事業に携わるようになり、さらに副業や地域との関わりへと意識が広がっていったのですね。
Lumadaに関わるようになってからは、仕事のスタイルが少し変わりました。顧客中心で走り続けてきた経験から、今度は「日立をどう成長させていけばよいのか」という視点を持つようになり、マインドセットが変化しましたね。あらためて自分のキャリアをどう広げるのかも考えるようになりました。
そこにコロナ禍が重なり、社会全体が閉塞感に覆われて、何もできなかった時間がありました。その反動もあり、オープンになり始めたタイミングで「何かに挑戦してみたい」と思うようになりました。新しいチャレンジの場を探す中、自分の生活圏である大森や大田区で何か貢献できることはないかと考えるようになり、ブルワリーに関与するきっかけにつながりました。
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